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「大魔神」佐々木主浩氏、日本球界復帰「秘話」明かす 長嶋茂雄氏「出馬」も...巨人「オファー」断った理由

J-CASTニュース / 2024年5月16日 17時37分

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大リーグ時代の佐々木氏(写真:ロイター/アフロ)

プロ野球横浜ベイスターズの元投手で大リーグのシアトル・マリナーズでプレーした佐々木主浩氏(56)が2024年5月15日に公開されたデーブ大久保氏(57)のユーチューブ動画に出演し、マリナーズから日本球界に復帰した際の「秘話」を披露した。

東北福祉大出身の佐々木氏は89年ドラフト会議で横浜ベイスターズ(当時は大洋ホエールズ)に1位で指名され入団。チームの守護神として数々のタイトルを獲得するなど、98年の日本一に大きく貢献。「ハマの大魔神」の愛称で親しまれた。

巨人からマリナーズにオファーが?

99年オフにマリナーズに移籍。00年から03年までの4年間、チームの守護神を務めた。マリナーズでは通算7勝129セーブを記録し「世界の大魔神」として人気を博した。

04年に古巣・横浜ベイスターズに復帰し、05年シーズンをもって現役を引退した。

佐々木氏は動画の中で、日本球界に復帰することを決めたタイミングで巨人の終身名誉監督・長嶋茂雄氏(88)から声をかけられたことを明かした。

佐々木氏によると、03年オフに帰国した際に、馴染みの寿司屋で長嶋氏とばったり遭遇したという。当時のやりとりをこう振り返った。

「ミスター(長嶋氏)がいて『こんにちは。お久しぶりです』と言ったら、『魔神(佐々木氏)、聞いてる?』と言われた。『何ですか?』と聞いたら、巨人からマリナーズにオファーを出していたんですよ。聞いてなかったので、代理人に確認したら『実際に来ているよ』と」

その後、長嶋氏と何度か話し合いの場を持ったが、結局、巨人に入ることはなく古巣に復帰したという。その理由を次のように説明した。

「ジャイアンツのユニフォームは着ることはできない」

「ミスターと何回か会って話をしたときに、アメリカ行ったときと同じ(考え)ですよ。『ジャイアンツのユニフォームは着ることはできない』と。(自身は)めっちゃジャイアンツファンですよ。長嶋さん、ミスターファンなので。江川(卓)さんのファンでもあるし、原(辰徳)さんとか、あそこら辺の時代が小さいころですから。ファンであるけれども(巨人のユニフォームを)着るということはなかなか。それでベイスターズに話をして、『帰ってきたいんだけど』と話をしてベイスターズなんですよ」

佐々木氏は14日に公開された大久保氏の別のユーチューブ動画で、大リーグ進出を決めた経緯について語っている。当時、国内フリーエージェント(FA)権を取得していた佐々木氏に、巨人から声がかかったという。

佐々木氏は「メジャー(リーグ)に行くとき、球団から『優勝したからお前の好きなようにしていいぞ』と言われた」と切り出し、当時をこう振り返った。

「『どうしよう。もう30(歳)越してるしな』と。そうしたら、ジャイアンツから話が来て『どうなんだ』と。FA(フリーエージェント)を取って、球団から『好きにしていいよ』と言われたので。どうしようと考えたときに、ジャイアンツから話がきて。『これでジャイアンツに行ったら、ベイスターズファンを裏切るし、無理だな』と思って。『じゃあアメリカ行くか』と。仕方がないから、アメリカに行きました。(アメリカで)やってみたい気もありましたし」

佐々木氏は横浜ベイスターズで通算252セーブを挙げており、計16年のプロ生活で日米通算381セーブを記録した。

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