国民年金だけでは「地獄の老後」になる…月10万円の3LDKに住む50代夫婦に司法書士が"引っ越し"を勧めた理由
プレジデントオンライン / 2024年4月29日 10時15分
■月10万円の3LDKで起きた家賃トラブル
困り果てた家主から、家賃滞納のトラブルで直接ご相談を受けました。最近は家賃保証会社経由でのお話が多いのですが、今回は保証会社がついていない案件。
家主からすれば、時間が経てば経つほど、回収しにくい滞納賃料が毎月加算されていってしまいます。でもこの間も物件に関する借り入れの返済もあり、気が気じゃないといった印象を受けました。
「まったく賃借人とも連絡がつかないんですよ! もうどうしていいやら……」
言葉の端々から、家主の怒りと焦りが見えます。
賃借人は58歳の男性、内装リフォーム業の個人事業主です。3LDKのマンションに妻と子2人の家族4人で入居していました。東京ではなく近郊の県だったため、60㎡を超えている部屋なのに、家賃は駐車場代を含めても10万円。割安とはいえ、滞納額は50万円(5カ月分)を超えています。
日本では、賃借人は借地借家法で手厚く守られるため、法的手続きに入るのにも滞納賃料が最低家賃3カ月分必要となり、その後の裁判所の判断もかなり賃借人に偏ったものとなります。しかもやっと退去してもらえたとしても、追い出された滞納者はなかなか滞納分を自分から支払ってはきません。
督促したとしても、スルーされてしまうのがオチです。差し押さえるべき給与等があればいいのですが、そもそもそのような方は滞納なんてしません。結局家主側が、泣きを見るしかなくなるのです。
■50代夫婦は貯金を切り崩し、追い詰められていく…
私の出会った滞納者たちは、一部の悪い人たちを除き、視野が狭くなって長期的なスパンで物事を考えられない状態になっていることが多いです。
日々の支払いや金銭的困窮に追い詰められ、解決策を合理的に判断できなくなっている人たちばかりです。お金というものは、本当に人を追い詰めるのだな……いつもそう感じていました。
このままいくとあと数カ月で貯金が底をつく、だからその前に固定費を下げる、払える安い部屋に転居する、そう考えて自発的に行動できる人は滞納なんてしません。頭では分かっていても動けず、日々のお金に追いかけられ、目先しか見えなくなってしまいます。
この賃借人も、同じだったのでしょう。さらに自営ということもあり、仕事さえ入れば一発逆転で大丈夫! そんな希望的観測で日々過ごしていたに違いありません。
さてこの賃借人、家賃の支払い状況をみると、かなり長期間にわたって払ったり払わなかったりを繰り返していました。家計の収支バランスが崩れている期間が長いということであり、もはや経済状況の立て直しは期待できそうにありません。
ただ1点、私には疑問に感じるところがありました。
それは、お子さんたちです。賃貸借契約から計算すると、お子さんは28歳と24歳。普通でいえば、すでに働いている年齢です。子どもの教育などにお金がかかる、ということもなさそうです。家族4人で経済活動をすれば、月々10万円の家賃は無理な金額ではありません。どうして滞納になるのか……そこが気になりました。
■生活水準はなかなか下げられない…住み替えを怠ったツケ
何らかの事情で経済活動をしていないのか、それとも既に独立してこのマンションには住んでいないのか。それとも追いつかないくらいの借金があるのか……。
もし仮に夫婦2人で住んでいるのだとすれば、もっと狭い部屋に移りさえすれば問題は解決できる、そう感じました。
法的手続きに入っても、賃借人から連絡はありません。裁判手続きが進んでいくと知っても、人はなかなか動けないのでしょうか。何とかコンタクトをとって話をしたい、そう思っても、連絡があるのは10人のうちひとりいるかどうかです。
祈るような思いで、契約書に記載された携帯番号にショートメッセージを送ってみました。何日待ったでしょうか。2度ほど優しいメッセージを送った後、賃借人からの反応がありました。夜の7時を回っていたので、賃借人の仕事もひと段落ついていたのでしょう。すぐに電話してみると、話をすることができました。
賃借人:ご迷惑をかけてすみません……
私 :いえいえ。滞納ってどうしちゃったんですか?
賃借人:なかなか仕事がうまくいかなくて
私 :お子さんたちは? 経済的に援助してもらえないんですか?
賃借人:子どもたちは家を出て、それぞれの生活があるから……
思っていた通りです。お子さんたちは社会人となり、家からはすでに退去しているとのこと。夫婦ふたりなら、もっと狭い部屋でもいいはずです。
私 :そうなんですね。これをきっかけに老後のこと考えていきませんか?
賃借人:老後……?
裁判の相手方から老後の話を切り出されたことに、賃借人は少し驚いた様子でした。
■老後への備えは「固定費を下げて貯金を増やす」がベスト
2019年、金融庁が「公的年金以外に老後資金として2000万円が必要」とした報告書を公表し、「老後2000万円問題」が話題になりました。
年金受給額は減らされ、年金受給の年齢も繰り下げられ、少なくとも年金をもらえるまでは、貯金を切り崩すか、働いて収入を得るかしかありません。サラリーマンの退職金も全体的には減ってきて、計算が狂ったかたもいるのではないでしょうか。
これが自営業となれば年金は国民年金だけという人が多く、2000万円問題どころではありません。ましてや子育てもひと段落して、いちばん貯金できる50代に家賃を滞納しているということは、今現在、預金もほとんどないということでしょう。
私 :いくつまで働くのかにもよりますが、年金だけで生活は厳しくないですか? ご夫婦ふたりなら、荷物を思い切って断捨離して、コンパクトな部屋への転居がいいと思うのですが。
賃借人:でも仕事さえ続けていたら……
私 :まずは固定費を下げて貯金の額を増やしましょう!
賃借人:……
私 :エリアで生活保護での家賃補助(住宅扶助)を受けられる条件を確認してください。その条件内のところに転居しておけば、最悪、補助を受けられますよ。
いきなり「生活保護」という言葉に、少し驚いたようでした。
地域にもよりますが、生活保護を受給するには家賃に条件があります。広すぎるところ、家賃が高すぎるところは、一般的には受給の妨げになります。
■「老後の住処」を老後に決めるのは遅すぎる
また年金が少ない場合、生活保護費との差額分を受給できる場合があります。この時の家賃も同様で、高すぎる家賃の場合には補助を受けられません。
つまり節約して生活しているけれど、それでも足りないといった場合に、申請すれば家賃補助を受けられる場合が多いのです。
50代後半で貯金もなく、その日暮らしとなれば、今後の生活はかなり厳しくなってしまいます。まして国民年金しか加入していない賃借人は、働けなくなった先をどう考えていたのでしょうか。おそらくそこまで思いが巡らなかったのでしょう。
でも実際に身動きとれない年齢になれば、引っ越し作業すらままなりません。まして高齢者になると、貸してくれる家主がぐっと減ってしまいます。だからこそまだ仕事をしている間に転居しておくのが、いちばん理想的です。そして生活保護受給ラインの物件に住んでいれば、万が一の時にさらに転居することなくそのまま家賃補助の申請ができます。
一度奥さんとよく話し合ってもらうようお伝えし、その日は電話を終えました。
早く解決したい気持ちはあるのですが、重要なのはまたコンタクトが取れること。一方的に権利を強く主張するのではなく、「貴方のためを思っています」というスタンスを貫かないと、私の経験則上、交渉事は上手く行きません。
■「がんばって引っ越します!」
1週間ほど経ったでしょうか。賃借人から電話がかかってきました。奥さんと話し合い、安い物件に転居することを決めたようです。まだ次の転居先は、見つかっていません。
私 :次が最後の引っ越しになるかもしれません。築年数が古い物件だと、高齢になって建て替えでまた転居になるかもしれません。そうなると大変なので、築古物件は気を付けてくださいね。
賃借人:あ……そこには気がつきませんでした……。
私 :ご自身の年齢と物件の築年数。しっかり考えて決めてくださいね。
賃借人:退去はいつまでに……?
賃借人は物件が見つからず、少し焦っているようでした。今回のように滞納額が家賃の5カ月を超えていると、間違いなく裁判所で明渡の判決が出てしまいます。そうなると自分から退去するのか、強制執行で出されるか、時間の問題。
ところが退去の日は、裁判の期日の前か後かでずいぶん変わってくるのです。もし期日より前に退去してくれれば、訴訟は取り下げとなります。「明け渡して」という訴訟を提起しているので、既に退去したため訴える利益がなくなるからです。そして期日までに取り下げると、そもそも「訴訟は起こされていなかった」扱いになります。
ところが裁判の期日まできてしまうと、訴訟は公開なので裁判所には記録を取りにきている人たちがたくさんいます。そのデータがどのように使われているのか、何のために記録しているのかは定かではありませんが、少なくとも良いことは何ひとつないでしょう。
だから同じ退去するならば、がんばって期日前に明渡して訴訟を取り下げる方が圧倒的に良いはずです。それを説明すると、賃借人から「がんばって引っ越します!」という力強い言葉が返ってきました。
■一度上がった生活レベルは、簡単に下げられない
結局、賃借人は訴訟の期日前に新天地に引っ越しました。
迷惑をかけてしまったからと、夫婦で部屋の中をピカピカに掃除までして。引っ越しがあると一般的にゴミステーションが荒れるのですが、わざわざゴミの焼却場まで持ち込んで、マンションのゴミステーションには何も捨てられていませんでした。
「滞納分は分割で必ず支払っていってくださいね」
私がお伝えした言葉どおり、その後も毎月1万円ずつ支払ってきてくれています。
人は、なかなか自ら生活レベルを下げることはできません。それでも今回の家賃滞納をきっかけに、この先の人生を考えてもらえたのでしょう。住まいは生きる基盤です。高齢者になれば部屋は借りにくくなってしまいます。そうなる前に、終の住処を確保できたのは、賃借人にとっても幸運だったに違いありません。
やっと肩の荷が下りたのか、心なしか賃借人の顔が明るくなった気がしました。
■貯蓄ナシ、国民年金だけでは老後生活は早々に破綻する
50代になると子供が自立し、子育てが一段落するタイミングでしょう。50代は自分の人生の後半を見直す重要な時期なのです。固定費の多くを占める住宅の問題は必ず見直さなければなりません。しかし実際は、日々の生活に追われ、見直さないまま老後に突入し、生活が行き詰まる人が後を絶ちません。
今回紹介した50代夫婦の事例は家賃滞納を繰り返し、貯蓄はほとんどありませんでした。自営の仕事が軌道に乗っていればいいのですが、生活はすでに行き詰り、月5万6000円(平均受給額)ほどの国民年金を受給したとしても老後生活は早々に破綻します。
そのため、生活保護(住宅扶助)の受給を見据えた住み替えが不可欠なのです。住宅扶助には上限が定められており、住宅扶助の上限を超える家賃の物件に居住することはできません(東京23区の場合、単身世帯5万3700円、2世帯6万4000円など)。こうすることで将来、再び引っ越しを余儀なくされる事態を避けることができます。
50歳で人生の後半を考え、貯金を増やす最後のタイミングです。そして60代までには「終の棲家」を見つけなければなりません。それを怠ると、ある日突然住む場所を失う「漂流老人」となりかねないのです。
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司法書士
専業主婦だった30歳のときに、乳飲み子を抱えて離婚。シングルマザーとして6年にわたる極貧生活を経て、働きながら司法書士試験に合格。これまで延べ3000件近くの家賃滞納者の明け渡し訴訟手続きを受託してきた賃貸トラブル解決のパイオニア的存在。家主および不動産管理会社向けに「賃貸トラブル対策」や、おひとりさま・高齢者に向けて「終活」に関する講演も行い、会場は立ち見が出るほどの人気講師でもある。著書に『老後に住める家がない! 明日は我が身の“漂流老人”問題』(ポプラ新書)、『あなたが独りで倒れて困ること30 1億「総おひとりさま時代」を生き抜くヒント』(ポプラ社)などがある。
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(司法書士 太田垣 章子)
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