アベノミクス戦略を陰で練ってきたのは誰か
プレジデントオンライン / 2013年6月5日 9時45分
アベノミクスで市場が動き始めたのは野田佳彦前首相が衆議院解散を明確にした昨年の11月14日だった。以後の半年間で日経平均株価は70%も上昇し、円・ドル相場は21円以上、円安となる。長期金利の乱高下は不安要因だが、企業の業績向上や景気の拡大が伝わる。日本経済の風景が様変わりした感がある。
昨年12月に再登場した安倍晋三首相は、大胆な金融緩和、機動的財政政策、成長戦略を脱デフレの「三本の矢」と唱え、政治の力で経済を動かしていく姿勢を打ち出した。最初に金融政策の変更に着手する。今年3月に緩和論者の黒田東彦(元大蔵省財務官)を日本銀行の新総裁に選んだ。黒田日銀は物価上昇率2%を目指すリフレーション政策を採用し、4月4日に資金供給量を2年で2倍に拡大する「異次元の金融緩和」を決めた。
安倍登場以前も、世論調査の政権への要望事項では、いつも「景気・雇用」がトップで、国民の経済への関心は強かった。だが、野田政権までは「デフレ脱出は困難」「人口減社会では成長は望めない」といった見方が有力で、第1次安倍内閣も含め、「政治で経済を動かす」という積極的な取り組みは見られなかった。
ところが、「安全保障・外交・憲法」系が得意分野の安倍首相は、第2次内閣で「経済最優先」を唱え、自ら「経済宰相」を目指す姿勢を打ち出したのだ。
■アベノミクスとリフレ派論客の出会い
アベノミクスという言葉を最初に使ったのは、安倍の盟友と言われた中川秀直(元官房長官。現在は引退)である。
「2006年の第1次安倍内閣の国会での最初の代表質問で、自民党幹事長として、僕が『財政再建と経済成長を両立させるのがアベノミクスともいうべき経済政策の基本哲学』と言った」
だが、1年の短命政権に終わる。アベノミクスは手付かずのまま頓挫した。
安倍は失意と零落の日々を余儀なくされた。09年の総選挙の直後、急死した中川昭一元財務相に代わって、後に安倍擁立運動の中核となる「真・保守政策研究会」(後に創生「日本」に)の会長を引き受ける。そろりと活動を再開した。
安倍には潰瘍性大腸炎という持病があるが、後に本人が「画期的な新薬」と説明する薬が10年4月に登場した。1年後の11年3月、東日本大震災が発生した。日銀による国債引き受けで20兆円規模の復興財源を、と唱える自民党の政策通の山本幸三(衆議院議員)は、派閥の違いを超えて、安倍に声をかけた。
「安倍さんが官房長官や首相の時代、反対したにもかかわらず、日銀が金融引き締めに動き、それが経済失速の原因になったと言っているという新聞のコラム記事を読んだ。それで『増税によらない復興財源を求める会』という議員連盟の会長を頼みにいった。『先を考えるなら、“経済の安倍”で。将来的には日銀法改正とインフレ目標政策を考えています』と話したら、『わかった』と言った」
この議連を母体に、12年1月、120人規模の超党派の「デフレ・円高解消を確実にする会」が誕生する。山本は毎月の勉強会の講師にリフレ派の論客の浜田宏一(現内閣官房参与。イエール大名誉教授)、岩田規久男(現日銀副総裁。元学習院大教授)、伊藤隆敏(現東大大学院教授。元大蔵省副財務官)、高橋洋一(現嘉悦大教授。元首相補佐官補)、中原伸之(元日銀政策委員会審議委員。元東亜燃料工業社長)らを招いた。安倍は強い関心を示し、熱心に参加した。
元大蔵官僚の高橋は第1次安倍内閣時代、経済政策面で「安倍の知恵袋」の役割を担った。小泉純一郎内閣の01年8月、経済財政相だった竹中平蔵(現慶大教授)から「手伝ってほしい」と言われ、補佐役を引き受けた。竹中は「小泉内閣の5年5カ月、毎週日曜日の夜、安倍さんも入れて数人でストラテジー・ミーティングをやった」と回想しているが、「当然、私も行ったことがあるから、安倍さんと知り合いに」と高橋は言う。
安倍が日銀に批判的となったのは、小泉内閣の官房長官だった06年3月、福井俊彦総裁の下で行われた量的金融緩和の解除がきっかけと言われている。高橋がその場面を振り返った。
「総務相だった竹中さんも私も猛反対した。解除すれば確実に景気が悪化するとわかった安倍さんは『どのくらいで悪くなるの』と聞くから、私は『1年か1年半くらい』と答えた。だが、担当の与謝野馨経済財政相が日銀の言うとおりになった。安倍さんは手も足も出なかった」
その6年前、安倍が森喜朗内閣の官房副長官だった2000年8月、速水優総裁の日銀は、実施中のゼロ金利政策を一時、解除した。安倍はこのときも「それはおかしい」と異を唱えたという。
第1次内閣の経済政策の柱は小泉内閣から引き継いだ「骨太の方針2006」だった。プラン策定を主導したのは小泉政権で自民党政調会長だった中川だ。
「いま第2次内閣でやろうとしている政策は06年から計画として持っていた。小泉政権時代、党改革実行本部長だった安倍さんを会長にして、自民党に『シンクタンク2005・日本』をつくった。名目成長率4%でいけるというシミュレーションをしたのは安倍さんです」
高橋は第1次内閣発足のとき、安倍から声がかかり、首相官邸入りした。
「安倍さんにいつも経済の説明をした。資料を見せ、とくに名目GDP成長率と失業率の2つの重要な経済指標を挙げて解説した。安倍さんは第1次内閣時代、経済にはそれほどの関心はなかったと思う。ただ、『半径1メートルの世界の話は担当大臣でいいよ』と言う。もともと国全体の大きな話が好きな人です。財政の全体や金融政策には関心がある」
第1次内閣で経産副大臣だった山本は当時の安倍の印象を口にした。
「その時代は、経済の問題はよくわかっていなかったと思う。ほかの問題に懸命だった。首相を辞めた後、時間ができ、次に何をすればいいか考えていて、経済にゆきつき、それでいくと決めたのでは」
■金融政策に続く「次の一手」とは
昨夏、安倍は総裁選を前にして判断を迫られた。菅義偉(現官房長官)とともに出馬を熱心に勧めた中川が回顧する。
「7月末、消費税増税法案の採決の前に安倍さんは私と一緒のシンポジウムで、『デフレで増税なんて狂気の沙汰。まずデフレ脱却』と言った。出馬の決意は8月末だったが、政権を取り戻したらまず経済からというのは当然のことだった」
首相辞任の後も、高橋は総裁選の直前まで「経済の説明役」を担い続けた。
「経済指標の数字を見せて説明してきたけど、名目GDPも株価も失業率も、過去10年間で第1次安倍内閣の時代が1番、成績がいい。いつまで経っても抜けなかった。だから、安倍さんは去年の総裁選で『経済は自分の政権のときが1番よかった』と言い続けた」
安倍は総裁選を制する。3カ月後の総選挙で記録的な大勝を手にして政権に返り咲いた。「三本の矢」に着手する。真っ先に金融政策の変更を実現した。
政権復帰から5カ月が過ぎ、最初の関門の参院選が迫ってきたが、安倍政権は安定的に推移している。改憲問題や外交など波乱要因はあるが、経済も内閣支持率も好調で、「参院選まで経済最優先」という安倍の政権運営戦略は吉と出そうな空気だ。「順風政権」を支えるアベノミクスに死角はないのかどうか。
「言っていることをきちんとやっている限り、市場の期待が裏切られることはないから、決定した2年間の金融緩和のペースを守っていけば、少なくとも1年は間違いなく失速はない」
高橋は楽観論を口にした。一方、大蔵省出身の山本はこんな点を指摘する。
「1つ問題があるのは、来年の消費税増税との関係。その環境をつくる金融政策が打てたと言っていいが、増税は人々の消費行動に影響を与えるので、悪影響を緩和する財政措置が必要だろう」
中川は金融政策に続く「次の一手」が重要と唱える。
「成長戦略が1番、大事。いろいろ岩盤のような規制がある。そこを変えなければ本当の成長戦略は出てこない。特区法もあるが、中央省庁が了解するかどうかでなく、役所の抵抗は首相官邸がいっさい許さないというふうにやらなければ」
安倍政権は滑り出しの5カ月で政治と経済の景色を一変させた。手品のような鮮やかさのアベノミクスについて、副作用や悪影響などの弊害を指摘して「間違い」と強調する論者も少なくないが、一方で「正しい方向」と認めたうえで、成否を疑問視する声もある。
安倍政権は高らかに「三本の矢」を打ち出したが、よく見ると、実際は第1の金融政策の変更以外、まだほとんど実行段階に至っていない。13年度予算は成立して日が浅い。成長戦略も日本経済再生本部や産業競争力会議などの機関で検討が行われているところだ。
アベノミクスは、いまのところ掛け声先行で、期待感が市場を動かすというアナウンスメント効果が、経済を「谷底」から「平地」まで押し上げる牽引力となってきたにすぎない。この先、「山」に向かわせることができるかどうかが勝負だ。実体経済を動かすことができなければ、数カ月後には、アベノミクスはただの人気取り、参院選対策だったという話になる。政治が経済を動かすという実験はこれからが本番である。(文中敬称略)
(作家・評論家 塩田 潮 PANA=写真)
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