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「50代だから」とあきらめるのはもうやめる。何だって私は私の力で体験していく

OTONA SALONE / 2024年5月11日 17時1分

日々が飛ぶように過ぎていく中、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんな中「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。体験談をご紹介します。

【私を変える小さなトライ#5】後編

 

とうこさん 56歳・会社員/石川県在住。長男31歳、長女30歳は県外の大学を卒業、2人とも看護師職に就いて独立。500gという低体重で出生した次男18歳がこの春高校を卒業、就職したところです。とうこさんは昨年まで10年間、介護の仕事を続けていました。

 

できることが一つ増えると、運命は自然と前に転がる。「次にしたいこと」がまた見つかるから

忘れられない富士山ツーリングのときの写真。

 

ところが、こうしてツーリングに出かけ始めてみると、すぐに仲間はみんな大型バイクに乗っていることに気づきます。女性も男性も大型です。私は免許をとったばかりで下手というのもあるけれど、そもそもバイクに馬力がないので置いていかれて、しばらく行くとみんなが待っていてくれるんです。慣れるとそれが物足りなくなり、どうしようかなと考えるようになりました。みんなも「すぐ大型にいったほうが取りやすいし、もっと楽しいよ」と勧めてくれたから、もういちど勇気を出して、2か月後の11月に大型免許を取得しました。

 

これは本当に大正解でした。バイクに体が慣れているので中型のときほど時間がかかりません。とはいえバイクが大きくなった分パワーもあり、怖い面もあります。ちょっとアクセルをひねるだけでスピードがびゅんと出ますし、カーブを曲がるときには重い分だけ倒さないと曲がり切れない。「腕で動かそうとするから重いんだよ」と言われるけど、どのみち重たいんです。私にできるのかなという怖さがありました。中型のときほどではないけど転んだりもします。でも、だんだん慣れていくし、慎重にもなり、運転だって少しずつうまくなっていくのが自分でわかります。

 

どんなところへ行ったか? これまで行った中でいちばん楽しかったのは、去年泊まりで行った富士山。5人で富士急ハイランドを目指しました。富山から富士山まで、走り出しは雨だったのが少しずつ上がっていき、移動するその道も楽しかったし、到着した富士急ハイランドも楽しかった。最初は富士山も隠れていましたが、遊んでいる間に晴れてきて、とってもきれいに見えました。夜は宴会をして、そうですね、まさにおとなの遠足です。

 

こんなことなら若いときに免許をとればよかった!とつくづく思います。私、あと何年乗れるかな?と考えちゃうんですが、大型は60歳くらいまでかなって。いま1100㏄ですが、体力的にだんだん小さくしていくしかないと思います。若ければ長い時間乗れただろうから、ちょっと悔しいけれど、その代わり1日でも長く乗るためにいまは体力づくりが必要だなとも考え始めました。

 

「50代だから」とあきらめるのはもうやめる。何だって私は私の力で体験していく

もしかして私は諦めが悪いだけけもしれません。私の18歳の次男は体重500gで生まれたので、この春の高校卒業を迎えるまでも本当にいろいろなことがありました。自分でもいっぱい勉強したし、たくさんの人たちに助けていただいて今があります。次男が生まれてからは人生観が変わりました。違う人の人生かなというくらいに考え方も変わりました。

 

500gだと、出生後はくる日もくる日も、今日だめかもしれない、明日だめかもしれないという日々です。10月に生まれて、退院できたのは翌年の8月。10か月の入院の間、今度こそだめかもしれないと言われたことが何度もあり、体重だって300gまで減ったこともありました。酸素チューブをつけた状態でやっと退院、それから1年間は「風邪すら命取り」と言われて、毎週病院に血液検査に通って。

 

何度も、自分の中でももうだめかなと覚悟を決めましたが、でも病院の先生たちは絶対にあきらめないんです。「この子はいまぼくがあきらめたら死んでしまうから、ぼくができるかぎり全力を尽くします」って言ってくれるんです。それがあったから今があるんだと思っています。そいういところで自分が変わっていったのでしょう。

 

それまでの私はネガティブ思考でしたが、次男が生まれてからは「あきらめなければうまくいくこともあるし、10のうち5しかできなくてもいいんじゃないかな」と思うようになりました。できないことがあったときも、できなくて落ち込むより、できることを伸ばしてあげればいいのかなって思うようになったんです。

 

みなさん「大変だったね」とおっしゃってくださいますが、我が家にとってはこれが普通のことですし、いちばん頑張ったのは本人。そして、医学の進歩があって今があると思います。子ども2人が看護師という職業を選んだのは次男の影響もあり、長男は特に強く影響を受けています。長女は別れた夫の連れ子ですが、中学のときの保健室の先生がとても親身に支えてくださったことから、ずっと保健室の先生になりたいと言っていました。進学の都合で断念して、そのあと自分で自分の夢を探したら看護師だったんですね。

 

長々とお聞きいただいてありがとうございます。こんな私が、今回の大型バイクの経験でわかったこと。迷ったことはまずやってみると世界が変わる、そしていつでも自分の世界は自分の手で変えていくことができるということです。

 

前編>>>56歳、無趣味だった私が「大型バイク」と出会い、新しい友人たちと私の新しい世界を作り始めるまで

 

 

≪OTONA SALONE編集長 井一美穂さんの他の記事をチェック!≫

 

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