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純国産なのに海外ビールみたい…常識破りのビール「ハートランド」を作った"キリンの天才"の仕事

プレジデントオンライン / 2022年5月21日 12時15分

前田仁氏について語るしりあがり寿氏 - 撮影=豊島望 写真提供=キリンホールディングス

キリンビールの「ハートランド」は、れっきとした純国産ビールだ。しかし、緑色の瓶には「キリンビール」と書かれておらず、海外ブランドのような空気をまとっている。手がけたマーケター・前田仁氏は、社内で「規格外の天才」と呼ばれ、ほかにも「一番搾り」「淡麗」「氷結」「のどごし」といったヒット商品を作った。前田氏の部下だった漫画家のしりあがり寿氏が、その仕事ぶりを明かす――。

■しりあがり寿が影響を受けた天才マーケター

「会社って、どうしても『体育会系』なんですよね。上下関係が厳しくて、いつも上を見ていなきゃいけないし。僕みたいな美大出身の人間からすると、そういう『タテ社会』には、どうしても違和感を覚えてしまうところがあるんです」

そう語るのは、漫画家・しりあがり寿氏である。

2001年に漫画『弥次喜多 in DEEP』で第5回手塚治虫文化賞を受賞したほか、宮藤官九郎氏や庵野秀明氏が作品を映像化するなど、90年代から00年代のサブカルチャーに多大な影響を与えたクリエイターだ。

しりあがり氏は、多摩美術大学を卒業した後に、キリンビールのマーケティング部でサラリーマン生活を送っていたことがある。漫画家としてデビューした後も、サラリーマンと漫画家の二足のわらじを履いていたという。

そのしりあがり氏には、キリンビール時代に大きな影響を受けた上司がいる。

それが、「天才マーケター」として、業界では知る人ぞ知る存在だった、前田仁(ひとし)(1950~2020年)だ。

■役員相手でも平気でモノを言う

「キリンのような大企業で偉くなる人は、やはり周囲から尊敬される人、いい人ばかりです。大学や、アルバイト先ではなかなか出会えないような、本当に尊敬できる大人がたくさんいました。その中でも、ジンさん(前田仁)は特に印象深い人でした」(しりあがり氏)

しりあがり寿氏は、キリンビールのマーケティング部で、「ハートランド」や「一番搾り」といった、今に至るキリンビールの看板商品の開発プロジェクトに関わる。

その両方を開発したのが、前田仁だった。

「実に飄々(ひょうひょう)とした人でした。組織の中にいると、他部署から理不尽な要求を突き付けられたり、上司の評価が気になったりと、どうしても組織のしがらみにとらわれてしまうものです。ただ、ジンさんには、そういうところが皆無でした。出世したいようにも見えなかったし、相手が役員だろうが上司だろうが、平気で意見を言う人でした。組織の中で汲々(きゅうきゅう)とするところが全くなかった」(しりあがり氏)

■組織の中で筋を通す男

筆者は生前の前田仁に取材したことがあるが、特に「2代目のビアホール・ハートランド」(六本木ヒルズ内にあった)が発表された時の取材が記憶に残っている。

店内で複数のキリン関係者と立ち話になった時、ある幹部の発言に対し前田仁は、チクリと反対意見を投げかけたのだ。

和やかやかだった場の空気は、一瞬にして変わる。

前田から反対意見を投げられたのは、年上の役員だったが、前田(当時はまだ部長)は気にするそぶりも見せなかった。

しまいにはニヤニヤしながら、「永井サン、偉くなると(人は)言うことが変わるのですよ」と、役員の目の前で、外部の人間である筆者に話しかけてきたのだ。

役員は決まり悪そうな表情を見せ、むしろ筆者のほうがハラハラしたのを記憶している。

「仕事をする上で、偉い人に何か言われようとも、簡単に譲ってはならない一線があるものです。ただ実際には、組織の中で、上司に反対してまで、筋を通してくれる人はほとんどいません。前田さんはその数少ない例外でした」(しりあがり氏)

■「宣伝してたくさん売る」を否定

前田仁氏としりあがり寿氏が関わったビール「ハートランド」は、当時としては極めて斬新な商品だった。

ハートランドの瓶。右は発売当時の瓶で、現在のものと異なり、手触りがボコボコとしている
撮影=豊島望 写真提供=キリンホールディングス
ハートランドの瓶。右は発売当時の瓶で、現在のものと異なり、手触りがボコボコとしている - 撮影=豊島望 写真提供=キリンホールディングス

その頃のキリンビールは、ビール市場で約6割ものシェアを持っていた。

そのため、目先の売り上げ拡大よりも、独占禁止法に抵触して会社が分割されることのほうが現実的な脅威だった。

そこで、前田仁をはじめとする開発チームが考えたのが、「数を売ることを目指さない、質を追及するビール」という方向性だった。

「ビールを造るというより、ブランドを作ることを意識していました。大手4社が、まるで麻雀でも打っているみたいに、それぞれの看板ブランドを持って、互いに取ったり取られたりしているのが日本のビール業界です。そこで、4社の看板商品に加えて、もう一つ新しいブランドを作ろうと考えたのです。つまり、4人ではなく、5人のゲームにしてしまおうと。そのうち2つがキリンの商品なら、今後もキリンは強いだろうという戦略でした。そうやって新しいブランドを作るために、キリンというブランドをあえて表に出さず造ったのが、ハートランドでした」(しりあがり氏)

「ハートランド」のコンセプトは「素(そ・もと)=もの本来の価値の発見」というものだった。

■情報が多くなるほど、宣伝しなくても良い物は広まる

「前田さんは『アウェアネス(awareness)=気づき』という言葉を使っていました。偶然手にとったビールが美味しかったら、また買いたくなる。お客様が自分で『あ、これいいビールだな』と、良さに気づくような商品を目指したのです。ハートランドは80年代半ばの商品でしたが、当時すでに情報化社会の到来が叫ばれていました。情報がたくさんある世の中になるほど、宣伝しなくても良い物が広まるだろう。ジンさんはそう考えていたのです」(しりあがり氏)

SNSが発達した今では、「口コミ」の重要性は広く認識されている。また、マーケティング手法としても大いに活用されている。

だが、前田仁は今から40年近く前から、そうした手法を展開していたという。SNSどころか、インターネットすらない時代のことだ。

■「自民党とプロレス」が長年人気な理由

「ハートランド」開発の後、しりあがり寿氏は前田仁と、再び新商品の開発に携わる。それが、キリンビールの看板商品「一番搾り」開発プロジェクトだった。

「一番搾り」開発時には、すでにアサヒの「スーパードライ」が発売され、爆発的なヒットを記録していた。

そのため、「スーパードライに対抗する新商品」として、「一番搾り」の開発が始まったのである。

ただ、その「一番搾り」は、実は同じキリンビールの「ラガー」を倒すための商品だったのだという。

永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)
永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)

「ラガーはキリンビールの看板商品でした。ただ、スーパードライの発売以降は苦しい戦いを強いられていました。そのため、競合することを恐れずに、ラガーのライバル商品を作ろうということになったのです。プロレスとか、あるいは自民党といった、長期にわたって人気を得続けているものは、『内部のライバル関係』を持っています。それと同じく、キリンビールの中に、ライバル関係の商品を作ろうとしたのです」(しりあがり氏)

「ラガー」は広告代理店に博報堂を使い、「一番搾り」は電通を使うなど、内部にライバルを作るという「作戦」は徹底していたという。

■自分の意見を言わず、部下に任せる

「私がキリンに入社したのは、広告が好きだったからです。当時は保守的なデザインがまだまだ多かったので、斬新な飲料のデザインを作ってみたいと思っていました。ジン(前田仁)さんと一緒に仕事をしたのも、清涼飲料のパッケージデザインが最初だったと思います。クリエイティブの仕事って、誰でも口出しできるじゃないですか。よくわかっていないのに、『ここはもっと赤いほうがいい』などと言ってくる人がいる。直してもあまり変わらないのに。そうやって口出しするのが仕事だと勘違いしている人がいるんですよね。でも、ジンさんは違いました。いろいろ自分の意見もあるだろうに、余計な口出しをせず、『ここから先は任せる』と言ってくれる人でした。文化や芸術にも理解があって、実際クリエイターとも広く交流を持っていました」(しりあがり氏)

氏が指摘するように、前田仁は広告代理店や、アーティストなどに、広い人脈を持っていた。

「暗黒舞踏」で有名な、舞踏家の田中泯(みん)氏とも、交流があったという。

「ジンさんは自分の趣味をちゃんと持っていました。ハートランドの時に、ビアホール・ハートランドというお店を作ったのですが、つたの這う古い建物を使っていました。あれは前田さんの世界観だと思います。それくらい、デザインについても一家言ある人だったのですが、あまり細かいことを言わず、こちらに任せてくれました」(しりあがり氏)

■ヒット商品を連発した不世出の天才

ビールの「ハートランド」「一番搾り」のほかにも、発泡酒の「淡麗」「淡麗グリーンラベル」、缶チューハイの「氷結」、第3のビール「のどごし」など、前田が関わったヒット商品は枚挙にいとまがない。

ヒット商品を開発した人物はたくさんいるが、生涯でこれほど数多くの、しかもジャンルをまたいだヒットを世に放ったのは、おそらく前田仁くらいではないだろうか。むしろ、一本だけでもヒットを打てたなら、その人は会社の中でヒーローだった。

少なくとも、ビール業界では、前田仁は「規格外の天才」だった。

しかも、前田はマネジメントにも優れ、しりあがり氏をはじめ、多くの元部下たちが、今もなお前田仁を慕っている。のちにキリンビバレッジの社長として、経営においても手腕を発揮することになる。

日本はいま閉塞感に包まれている。国も、企業も、「古い日本のやり方」を捨てられず、新しい分野に挑戦することができていない。

結果、じわじわと国力が低下し始めている。

そんな日本に今必要なのは、「しがらみにとらわれることなく、新しい価値を生み出せる人材」ではないだろうか。

今の日本で、前田仁が歩んだ人生は、きっと示唆に富む「参考書」となるだろう。

『キリンを作った男』の発売を記念して、しりあがり寿氏が書き下ろした前田仁の特別イラスト
『キリンを作った男』の発売を記念して、しりあがり寿氏が書き下ろした前田仁氏のイラスト
しりあがり寿(マンガ家)
1981年、多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後、キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝などを担当。1985年、単行本『エレキな春』でデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。1994年に独立し、その後は幻想的あるいは文学的な作品などを次々に発表。新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなどさまざまなジャンルで活動を続けるほか、映像、現代アートなど多方面で活躍している。

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永井 隆(ながい・たかし)
ジャーナリスト
1958年、群馬県生まれ。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、1992年フリーとして独立。現在、雑誌や新聞、ウェブで取材執筆活動をおこなう傍ら、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。著書に『サントリー対キリン』『ビール15年戦争』『ビール最終戦争』『人事と出世の方程式』(日本経済新聞出版社)、『国産エコ技術の突破力!』(技術評論社)、『敗れざるサラリーマンたち』(講談社)、『一身上の都合』(SBクリエイティブ)、『現場力』(PHP研究所)などがある。

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(ジャーナリスト 永井 隆)

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