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密告したのは誰だ~石垣島事件はなぜ発覚?~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#29

RKB毎日放送 / 2024年4月16日 16時15分

太平洋戦争末期、石垣島で元日本兵が米兵の捕虜3人を殺害した石垣島事件。戦後、横浜軍事法廷によって米軍からBC級戦犯として46人が裁かれることになったが、その発端となったのは、投書だった。誰が?どんな理由で?敗戦の19年後、1964年に法務省が関係者に面接した調書があった。そこに書かれていたのはー。

◆GHQへの投書によって発覚

巣鴨法務委員会が1952年に発行した「戦犯裁判の実相」の中に、「横浜地区石垣島事件の概要及び裁判の経過」というページがある。藤中松雄の陳述書にも出てくる炭床静男兵曹長がまとめたものだ。スガモプリズン在所中に発行されている。

石垣島事件のページは、被告人名簿が2ページ、事件の概要と裁判の経過が2ページだ。「戦犯裁判の実相」で、横浜裁判中、個別の事件についてページが割かれているのは、石垣島事件しかない。その最初に次のように書かれている。

「事件の発覚 GHQ宛 鹿児島加世田の消印ある投書による」

◆1964年の面接調書

1956年に法務省で省議決定された「戦争裁判関係資料収集計画大綱」に基づいて調査・収集された戦犯関係の資料は、現在、国立公文書館に収蔵されている。

この中に、元海軍大佐で戦後第二復員省に勤務した豊田隈雄や元陸軍大佐の井上忠男が実施した面接調査の調書がある。石垣島事件については、検察側証人1人と、横浜裁判で死刑を宣告された元戦犯3人が1964年に調査に応じている。

◆密告したのは、上官への恨みから?

まず、石垣島事件の裁判で検察側証人として出廷した、事件当時、一等兵曹先任衛生伍長だった男性の調書。この男性はアメリカ生まれで、幼少期に祖父母に連れられ日本へ来た。検察側証人になったのは、検察側から利益を提示されて、検察側のために働いたというのではないという。

事件の密告については、「福岡の土手町刑務支所の監房で、炭床兵曹長から聞いた話」として、次のように述べている。

「久里浜上陸時、某氏が簡単な投書を進駐軍に差し出したということであった。その某氏は、戦時中、副長から鞘のままの軍刀で殴打されたことを恨みに思って訴えたということである」

◆告発者は傍聴、告発を後悔?

次は、二等兵曹だった男性。絞首刑から終身刑に減刑された。事件の発覚については、次のように述べている。

「この事件を進駐軍に投書した者は、石垣島警備隊に勤務した将校であった。司令に対する怨恨が原因である。司令の戦時中における将校下士官に対する態度は酷であった。この投書した者は、法廷の傍聴席にも来ていたが、まさか下士官兵まで累が及ぶとは思ってもいなかったので、後悔していた」

◆巣鴨で聞いた噂

3人目は、事件当時、一等水兵の男性。絞首刑から重労働10年に減刑された。終戦の前年9月に入隊し、2ヶ月後、石垣島に送られた。事件の発覚については、「巣鴨で聞いた噂」として次のように述べている。

「司令の従兵を務めていた某氏は、かねて石垣島で司令の食事のことで『こんな拙いものが喰えるか』と膳をひっくり返されたことを怨みに思っていて、その仇討ちの意味で、連合軍に飛行士処刑のことを密告したのだということであったが、これは単なる被告間の想像に過ぎないと思う」

◆共通する4人の証言

最後に事件当時、二等兵曹だった男性。絞首刑から重労働20年に減刑された。この男性は事件の発覚について、「弁護団から聞いたところによると」と前置きして、次のように述べた。

「ある将校の内還復員後の総司令部への密告によるものであるとのことであった。ある将校は司令と喧嘩をして、個人的に司令に怨を懐いており、警備隊でも嫌な任務ばかりに充当させられていたとか不平を漏らしていたとのことであった」

4人の証言をあわせると、情報の出所は様々であるものの、「ある人が上官への怨みで密告した」ということは共通する。この人は、自分の告発によって思いがけず、46人もが被告となり、最終的に将校だけでなく、藤中松雄含め下士官までが命を奪われた現実を、どう受け止めたのだろうかー。
(エピソード30に続く)

*本エピソードは第29話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。

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