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道長の兄「道兼」頂点に君臨後"7日で死去"の衝撃 父である兼家に抱いていた複雑な思いとは

東洋経済オンライン / 2024年5月4日 8時40分

花山天皇を出家に追い込んだ道兼。写真は花山天皇が出家した元慶寺(写真: くろうさぎ / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は道長の兄、藤原道兼の死の背景を解説します。

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一条天皇と道隆・伊周父子の思惑のズレ

藤原道長の兄であり、関白だった藤原道隆は、995年に43歳でこの世を去ります。その年は疫病が流行しましたが、道隆の場合は、疫病ではなく、度重なる深酒による糖尿病が死因だったようです。

【写真】道兼は花山天皇を出家に追い込む。写真は花山天皇 紙屋川上陵。

道隆は内大臣となっていた我が子・伊周に、自分の後を継いで、いずれは関白になってほしいと考えていました。もちろん、伊周もそれを望んでいました。

しかし、一条天皇は別の思いを抱いていたようです。一条天皇と道隆・伊周父子の思惑のズレが周囲の混乱を招きます。

一条天皇は「関白(道隆)が病ではあるが、政務に関連する文書や宣旨(天皇の命令を伝達する文書)は、まず、関白に見せてから、続いて内大臣(伊周)に見せ、奏聞(天皇に言上)すべし」と考えていました。

その旨は、頭中将(藤原斉信)から、伊周に伝えられます。ところが、伊周はそれに異を唱えるのです。

「天皇の御命令が違っています。関白からは、関白が病の間は、内大臣(伊周)が中心となり政務を担当せよと承っていたのです。そうであるのに、天皇はまず関白に文書を見せて、続いて内大臣に見せよと仰せになります。これはどういうことでしょうか」と。

伊周の主張は、一条天皇にも伝えられます。この抗議を受けて、一条天皇は道隆の意向を尊重し、伊周を内覧(関白に準じる職)に任命します。

しかし、それでも不満を持つ人々がいました。伊周の母方の叔父である高階信順です。

高階氏は、宣旨に「関白病間」とあったのを「関白病替」と、病の期間だけではなく、関白の地位を完全に譲るように変更せよと、大外記・中原致時に迫ったといいます。高階氏の強引な要求は許されることはありませんでした。

父に対して不満を抱いた道兼

伊周にとって強力な後見であった父の死は、大きな痛手となりました。

後継の関白には、道隆の弟・藤原道兼が任命されます。伊周の内覧の職は、停止されてしまいます。前述したような、伊周方の強引な駆け引きで、天皇に嫌われた可能性もあるでしょう。

さて、新たな関白に就任した道兼ですが、彼も自由奔放で酒飲みの兄(道隆)と同じように、キャラが濃い人物でした。道隆は、容姿端麗でしたが、道兼はその逆で「顔色は悪く、毛深く、格別に醜かった」(『栄花物語』)ようです。

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