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「大学無償化」への批判が的を射ていない真実 お金だけでは得られない豊かさに目を向ける

東洋経済オンライン / 2024年5月8日 15時0分

ですが、精神の自律を手にするという本来の目的に立ちかえり、多くの人たちが受験に必死になるよりも、青春時代を楽しみ、地域にある大学に行き、生まれ育った街で愛する人と出会い、働き、生きていくという選択肢もあってよいのではないでしょうか。

この選択の自由のための経済的な土台こそが、ベーシックサービスなのです。

ライフセキュリティの社会へ

ベーシックサービスと品位ある最低保障を両輪とした社会を、僕は《ライフセキュリティの社会》と呼びます。

命と生活、すなわち「ふたつの生(=life)」を保障しあう社会という意味です。

ライフセキュリティの社会は、お金とは違う「豊かさ」をもたらしてくれます。

子どもは費用ではなく、慈しみの対象に変わります。

勉強ができない、たったそれだけの理由で子どもをしかりつけ、傷つける必要はなくなります。子どもも、大人も、ともに将来の不安から解きはなたれた社会なのですから。

私たちは、本当にやりたい仕事にチャレンジできるようになります。会社の求める長時間労働やサービス残業にたいして反対できるようにもなります。

仮に一時的に失業しても、転職して給与水準がさがっても、みなが安心して生きていける社会なのですから。

取り戻したい「当たり前の自由」

働く人たちが力を持てるようになれば、定時に帰り、家族とともに食事をするという当たり前の自由もまた、戻ってくるはずです。

想像してみてください。仕事を終えて、家族と買い物に出かける、いっしょに夕食を作り食べることができる、そんな普通の社会のことを。

24時間やっているお店なんていらなくなります。人間を深夜まで働かせることのない社会は、ムダな電力やプラスチックの容器を必要としない社会でもあります。

毎晩、家族と過ごし、子どもやパートナーのその日のできごとを聞き、語りあえるようになれば、週末は自分の時間を持てるようになるでしょう。

平日の穴うめのように子どもに付きあう必要はありません。地域の活動や政治的なイベント、さまざまな実践と対話の場に参加することだってできるようになるはずです。

僕は、そんなに難しいことを言っているでしょうか?

家族との食事の時間は、ローマ時代の奴隷にさえ認められた自由です。その当たり前の権利を、当たり前に受け取れる社会を作ろう、そう言いたいだけです。

みなさん、そろそろ本気で発想を変えませんか?

ずっと昔、日本人のことをあざけり、エコノミックアニマルと呼んだ人たちがいました。

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