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米朝ではなく「小文枝」に入門 出番を終えた着物姿の師匠を「人事部長さんや」と母に紹介 話の肖像画 落語家・桂文枝<9>

産経ニュース / 2024年5月9日 10時0分

師匠の桂小文枝さん(後の五代目文枝)

《関西大学4年のときプロの落語家となる決意をする》

落研(おちけん)のメンバーに、プロになる気持ちを打ち明けたのは大学4年の秋くらいだったかな。「(浪漫亭(ろまんてい))ちっくさん(※落研での高座名)なら…」って喜んでくれて、送別会を開いてくれたのを覚えています。

僕は、入門するならば、(三代目の桂)小文枝(こぶんし)師匠(※後に五代目桂文枝)に、と心に決めていました。

えっ? (大学1年のときに落語会で惹(ひ)かれた)桂米朝(べいちょう)師匠じゃなかったのかって?

もちろん、米朝師匠の噺(はなし)は好きで尊敬していましたけど、その後、いろんな師匠の噺を聴くようになって、小文枝師匠の「やわらかな感じ」もいいなぁ、って。

それに、米朝師匠は学者肌だし、すでに後に(桂)枝雀(しじゃく)さんになる小米(こよね)さんや〝暴れん坊〟の朝丸(ちょうまる)(現ざこば)さんが入っていましたからね。あんなところへ僕が入ったら、えらいことになる(爆笑)。

《あらゆるツテをたどり、小文枝師匠を紹介してくれることになったのが、なんと師匠が所属する吉本興業のライバル会社、松竹芸能の人》

当時、小文枝師匠は吉本興業に入ったばかりでしたし、そもそも(一般人の)僕はそんな事情を知りません。松竹芸能の方は、制作部長というえらい人でした。「ウチ(松竹)には(六代目笑福亭)松鶴(しょかく)師匠も(三代目桂)春団治(はるだんじ)師匠もおるけど、どうや?」と聞かれましたが、僕はあくまで「小文枝師匠を紹介してください」と…。

部長は「まぁええわ、小文枝師匠とも仕事をしたことあるから紹介したる」。これは後で知ったことですが、部長はこのときの僕を見て「これは売れそうにない」とにらんでライバル会社に紹介したんだとか。

《松竹芸能の部長が小文枝師匠に連絡を取ってくれ、なんば花月(※現なんばグランド花月)で会えることになった》

約束の場所だった、なんば花月まで市岡商業の2年先輩だった桂春蝶(しゅんちょう)さん(※先代、1941~93年)が付き添ってくれました。そして「簡単に辞めたらアカンで。何かあったら僕に連絡しておいでよ」と励ましてくれたのです。春蝶さんが先輩なのは高校時代には知らなかったのですが、ありがたいことでしたなぁ。まぁ、当時、大阪の落語家は20人足らずしかおりませんでしたから、(春蝶さんは)ちょっとでも増やしたいと思われたのかもしれません。

(小文枝)師匠は「大学出はホンマは取りとうないけど…やりたいならしようがない」と入門を認めてくださる様子だったのですが、「ご両親は?」と。「ウチは母だけです」と僕が答えると、「じゃあお母さんと一緒に会おう」ということになって僕は困りました。落語家になることを母にまだ話していなかったからです。

《結局、母親にウソをついて、一般企業の就職面接として人事部長(※実は小文枝師匠)に会うという理由で、面会場所へと連れ出した》

なんばの喫茶店に師匠が現れるなり、僕は「人事部長さんや」と紹介したけど師匠は出番を終えたばかりで、着物姿、おかしいでしょ(苦笑)。話をしているうちに母も「真相」に気づいたと思いますが、話を合わせてくれた。母は最後に「よろしくお願いします」と師匠に深々と頭を下げました。

家に帰っても明日から師匠の家で住み込み生活が始まるのかと思うと、なかなか寝付けません。甘い世界じゃないというのは分かっていましたから。(聞き手 喜多由浩)

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