社会的に優位な位置にいるはずのマジョリティが、自分より不利な位置にいるマイノリティの成功を妬むのはなぜか?
集英社オンライン / 2024年4月22日 11時0分
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アメリカ社会における白人のレイシズムには、マジョリティによる「嫉妬」という感情があった。現代政治理論を研究する山本圭氏が、キルケゴールの思想をまじえて現代アメリカ社会の闇を解説する。本記事は書籍『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』より一部抜粋し再構成したものです。
「ドツボにはまっている」という感覚
近年、多くの研究が白人によるレイシズムに注目しているが、ハージはそれをこの「ドツボにはまっている」という感覚とそれが引き起こす嫉妬心に結びつけて考察している。それが「移動性への妬み」というものだ。これは空間的な移動についてだけ言われているのではなく、社会的階層を上昇するといったような実存的、象徴的な移動についても当てはまる概念である。
白人レイシストの隣の家に引っ越してきた移民の例を見てみよう。移民は最初オートバイを購入する。しかし、そうこうするうちに、オートバイはそれほど高価ではない自動車に変わる。それを見た隣人のレイシストは憤慨する。なぜか。
自動車そのものを妬ましく感じているわけではない。というのも、自分のほうがもっと良い自動車を持っているのだから。彼(女)は「自分たちが同じ場所で行き詰まっていると感じているときに、隣人がバイクから自動車に乗り換える、ということが含意する移動性を妬んでいるのだ」(ガッサン・ハージ『オルター・ポリティクス──批判的人類学とラディカルな想像力』塩原良和ほか訳、明石書店、2022年、72‐73頁)。
ここでは移民の社会階層的な上昇(移動)が、自分たちのうまくいかなさを際立たせ、レイシストの嫉妬をかき立てているのだ。
これは、私たちのこれまでの議論の用語で言えば、「劣位者への嫉妬」と考えることもできるかもしれない。社会的に優位な位置にいるマジョリティが自分より不利な位置にいるマイノリティの成功を妬むのは、その差が縮むことによって、おのれの幸福感や安心感が脅かされるからである。
レイシストもまた、マイノリティとの距離が縮まることによって自分が安全圏にいるとは思えなくなる。だからこそ、彼らが前進していることを耐えがたく感じるのである。
嫉妬と水平化──キルケゴール
嫉妬と平等の関係を鋭く見抜いていた人物として、セーレン・キルケゴールの名を挙げておこう。なにせ嫉妬について彼は、「私が特別の研究題目として推奨したいもので自分では徹底的に研究し尽したと自惚れている主題である」(キェルケゴール『死に至る病』斎藤信治訳、岩波文庫、1957年、138頁)と胸を張っているくらいなのだ。
先にも議論したように、キルケゴールも、陶片追放を嫉妬のはけ口と見るプルタルコスと同じ見解をとっている。
彼の考えでは、革命の時代が情熱的な時代、感激に満ち満ちた時代であったのに対し、「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にぱっと燃え上がっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまうといった時代」である。
そのような情熱のない時代には、嫉妬は「水平化の現象」に逢着する。水平化は確かに一種の平等の状態を目指すものだろう。しかし、キルケゴールにとって、ある種の平等の実現でもある水平化は歓迎すべきものではない。
現代は平等の方向において弁証法的であり、この平等を誤った方向に最も徹底化させようとするのが、水平化のいとなみであり、この水平化は個人個人の否定的な相互関係の否定的な統一なのである。(キルケゴール『現代の批判 他一篇』59頁)
つまり水平化とは、単に皆が平等に生きるユートピアのことではない。むしろ嫉妬者が才能のある者や傑出した者の足を引っ張ることで、すべての人を凡人並みにしてしまうような状態を指している。キルケゴールにとって、これほどつまらない時代はないというわけだ。
承認欲求──フランシス・フクヤマの「気概論」
こうした嫉妬と水平化についての洞察を、21世紀まで視野に入れて展開しているのがフランシス・フクヤマである。フクヤマといえば、自由民主主義の勝利についての楽観的な展望で知られるが、彼の『歴史の終わり』の真のポイントは、そうした歴史についての見立てにあったわけではない。むしろ彼の鋭い洞察は「気概(テューモス)」にかんする議論、およびそれが民主主義に危機をもたらすという点にある。
まず、「気概」とは承認を求める魂の部分のことである。これは私たちの尊厳の感情にかかわっており、他者から肯定的に認められれば誇りを感じ、不当な評価であれば怒りや恥を引き起こす。
プラトンは人間の魂を理性、欲望、そして気概という三つの部分に分けたが、フクヤマはこの気概をおおむね「承認欲求」と捉えつつ、現代のアイデンティティ・ポリティクスの興隆の背景には、こうした気概の存在があったと見る。
ちなみに、2016年のトランプの大統領当選や英国のEU離脱をめぐる国民投票などによって注目されるようになった、貧しい白人労働者階級の政治的な選好についても、こうした観点から説明できる。
いわゆるリベラル派は人々の理性的な部分に訴えながら、彼らが「正しい」と信じることを主張していたが、そこで彼らが見落としていたのは、まさに人々の気概、すなわち承認欲求やアイデンティティの次元にほかならない。
言い換えれば、「正しさ」だけでは人々の支持を集めることはできないということなのだ。いくら滑稽に見えたとしても、トランプの言説が人々にウケたのは、まさにそうした側面に応えたからではないだろうか。
メガロサミアとアイソサミア
さて、フクヤマの議論を興味深くしているのは、彼が二種類の気概を区別している点である。まず、「自分の優越性を認めさせようとする欲望」を彼は「メガロサミア(megalothymia)」(優越願望)と呼ぶ。それに対し、「他人と対等なものとして認められたいという欲望」が「アイソサミア(isothymia)」(対等願望)である(フランシス・フクヤマ『新版歴史の終わり下』渡部昇一訳、三笠書房、2020年、28頁)。
そして、フクヤマによれば、自由民主主義のもとではメガロサミアが禁止され、アイソサミアが前景化する。つまり、優越願望が地下に潜伏し、対等願望が幅をきかせているのが現代の民主社会の特徴なのだ。より最近の著作でも同じ議論が展開されている。
近代民主主義台頭の物語は、アイソサミアがメガロサミアに取って代わる物語だといえる。少数のエリートだけを承認する社会が、だれもが生まれながらにして平等だと認める社会に変わったのである。(フランシス・フクヤマ『IDENTITY』山田文訳、朝日新聞出版、2019年、44頁)
民主主義のもとでは、もはや誰かを打ち負かすことが目的ではない。誰もが同じ権利を享受することが何よりも重視される。これは、第三章で取り上げたチャールズ・テイラーの物語とも重なるものだろう。
水平化の行く末
平等化のもとで対等願望だけが満たされるとき、人々は幸せになるのだろうか。確かに、優位や劣位が強調されないことで、今よりもはるかに生きやすくなる人もいるに違いない。
ここで興味深いのは、平均人が偉人並みに優れた社会といったユートピアを率直に表現したトロツキーの以下の文章である。
人間ははるかに強靭、賢明、繊細になる。肉体はもっと調和がとれ、動作はもっと律動的に、声はもっと音楽的になる。人間の平均的タイプがアリストテレス、ゲーテ、マルクスの水準にまで高まる。この山脈の上に新たな高峰が聳え立つのだ。(トロツキー『文学と革命Ⅰ』内村剛介訳、現代思潮社、1975年、236頁)
トロツキーは、万人が偉人の高みに達するような未来像を描いていた。しかし、このような未来にあって、人々が自身の能力に満足するとは限らない。
というのも、このトロツキーの文言を引用したロバート・ノージックが「この尾根にいることはもはや、言葉を話す能力や物をつかめる手を持つこと以上に、皆に自尊心や個人としての価値の感覚を与えはしないだろう」(ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』404頁)と言ったように、人々はいくら高い知性を持っていたとしても、万人がそれを持っているとき、それを特別なことと思わないからである。
だとすれば、キルケゴールやフクヤマが指摘した、(アリストテレスやゲーテらよりもはるかに低い水準での)現代の水平化=平等化が、人々に新たな不満足を引き起こしているとしても不思議はない。
それでは水平化のはてに、私たちの嫉妬感情は去なされただろうか。現代の民主社会において人々の嫉妬心がなくなったかというと、もちろんそうではない。むしろそれは、かつては英雄やカリスマといった明らかに優位な者に向けられたものから、対等な隣人同士の嫉妬心へと変形してくすぶり続けているだろう。
そして本書が繰り返し指摘してきたように、しばしば差異の縮小が嫉妬の爆発を招くとすれば、現代の嫉妬がより陰険なものであることは疑いえない。それは民主主義の宿痾のようなものとして、私たちがたえず向き合わざるをえないものと考えるべきである。
引用
*1より詳しい手続きについては、Sara Forsdyke, Exile, Ostracism, and Democracy: The Politics of Expulsion in Ancient Greece(Princeton University Press, 2005, Chap.4)を参照。
*2平等の要求と嫉妬感情の関係についての最近の研究として、Jordan Walters, “The Aptness of Envy”(American Journal of Political Science, Vol.1 No.1, 2023)を挙げておこう。
写真/shutterstock
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