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“500年後には日本人全員が「佐藤」さんになる”というなら。 佐藤姓のライターが、「苗字の多様性を保つため」に提案したいこと

集英社オンライン / 2024年4月19日 20時0分

もし日本が夫婦別姓を取り入れなかった場合、およそ500年後の2531年には、日本人全員が「佐藤」さんになるという衝撃の研究結果が発表された。そもそも苗字の起源とはなにか。苗字の多様性を保つにはどうすればいいのか。ライターの「佐藤」誠二朗氏が考察する。

日本人に「佐藤」さんや「鈴木」さんが多い、意外すぎる理由

去る4月1日、東北大学・高齢経済社会研究センターの吉田浩教授が、なかなか驚くべき試算結果を発表した。

日本がこのまま夫婦別姓を取り入れなかった場合、苗字のバリエーションは徐々に減少していき、およそ500年後の2531年には、日本人全員が「佐藤」さんになるというものである。

これはエイプリルフールのジョークでもなんでもなく、冷静に考えると(時期のことはさておき)当たり前の事実を言っているに過ぎない。


婚姻によって男女のどちらかが相手方の苗字に改姓していくと(現状では女性側の改姓が約95%と大きな偏りがあるが、ジェンダー論はまた別の話)、おのずと多数派はどんどん数を増やし、少数派は減少していく“収斂ゲーム”となる。

すると現在もっとも数量的にリードしている苗字が、いずれどこかの時点でこのゲームの唯一の勝者になるのだ。

ここで疑問に思う人もいるかもしれない。

日本には古くからさまざまな苗字があり、現在もそのバリエーションは保たれている。

それなのになぜ、500年後にはたった一つに収束してしまうのだろうか。

これについての答えは明白で、日本の平民、つまり人口のほとんどを占める人が苗字を持つようになったのは、 1870(明治3)年に定められた「平民苗字許可令」が施行されて以降だからだ。

それまでは限られた特権階級だけのものだった苗字を、国民全員が名乗るようになってから150年ほどしか経過していない現在はまだ、後半にいくほど加速度的に進む“収斂ゲーム”の初期段階で、苗字のバリエーションが保たれている。

ちなみに、現在の日本人になぜ佐藤さんや鈴木さんが多いのかについては諸説あるものの、「平民苗字許可令」が発令されたとき、サンプルとして利用されたからという説が濃厚だ。

このとき平民の家はそれぞれ自由に苗字を定めてよかったのに、初めての経験だったため要領を得ず、多くの家はときの政府が例として示した「佐藤」や「鈴木」などの苗字をそのままつけたということらしい。

佐藤姓自体のルーツはもっともっと昔にさかのぼるもので、明治初期の段階で元・武家を中心にすでに多かったらしいが、平民レベルに一気に拡大したのはこのタイミングだったのだ。

大名・旗本のような名家や、歴史に名を残す武将や貴族に「佐藤」がまったくいなかったことも、多くの平民がこの姓をいただきやすかった理由らしい。

そして、夫婦同姓が法律で義務付けられている国は世界的に見て非常に珍しく、先進国に限ると日本唯一のこと。

アメリカ、イギリス、オーストラリアなどでは「選択的夫婦別姓」が認められ、フランスや韓国、中国などは「原則別姓」。タイやイタリア、トルコなどは、夫婦の姓を合わせる「結合姓」が認められている。

翻り、日本の現状は、日本人同士が結婚する場合は、夫婦どちらかの姓を名乗ることとされている。

民法750条で「夫婦が同じ姓を称する」と定め、これを受けて戸籍法74条1号が、「婚姻届に夫婦が称する単一の姓を記載するもの」としているため、別姓を記載した婚姻届は受理されないのだ。

夫婦同姓制度どころか、戸籍自体が本当に必要なものなのだろうか?

ところで、日本人は“戸籍”というものを非常にありがたがっていて、「戸籍がない」などと言うとまるで幽霊のように思いがちだが、世界的に見ると戸籍自体が不思議な制度だ。

Wikipediaを引用すると、戸籍とは「戸(こ/へ)と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書」。

国民を個人にひもづく家族単位で登録するこの制度は、かつて東アジアの広い地域で普及していたが、現在では日本と中華人民共和国と台湾のみに現存する制度である。

古代から中国で使われていたこの制度を、日本は6世紀から当時の大和朝廷が部分的に取り入れ、7世紀の大化の改新以降は新羅などを参考にして、本格的に制度化されたらしい。

これに基づいて日本は戸籍で括られる(同じ氏である)家族単位がずっと重視されてきたわけで、現在も夫婦別姓に難色を示す人たちの論拠ともなっている。

古から受け継がれてきた戸籍と家族制度、それに伴う夫婦(家族)同姓を蔑ろにするのかと。

しかし先述のように、古くから戸籍はあったものの、平民に苗字はなかったのだから、戸籍と苗字を同一線上で考えるのは乱暴だ。

それにその戸籍も、個人と家族関係を連結して把握できる優れた制度である一方、大昔の権力者が税の取りっぱぐれを防ぐために導入したという歴史からも分かるように、庶民にとっては「抑圧」という見方もできる。

民衆にかけられたその「家」という重しを、近代化する中でアジアの多くの国は排除していったのだが、そもそもの発明者である中国(および台湾)と、変化を好まない国民性の日本だけに残っているのだ。

その中国にしても、1949年に中華人民共和国として新生した翌年の1950年、旧国家が国民に課していた抑圧の象徴である夫婦同姓を排除し、選択的夫婦別姓を認めている。

戸籍がー、家族がーといつまでも言い続けている人は、日本がこうした世界の潮流からどんどん遅れていくことに気づかなければならない。

ラモーンズやOKAMOTO'Sが実践している「選択的メンバー同姓」制度

さて。

発作的に話は飛ぶが、ラモーンズというアメリカのレジェンドパンクバンドをご存知だろうか?

1974年に結成されたラモーンズのオリジナルメンバーは、ボーカルのジョーイ・ラモーン、ギターのジョニー・ラモーン、ベースのディー・ディー・ラモーン、ドラムのトミー・ラモーンの4人である。

1996年に解散するまで、ボーカルのジョーイとギターのジョニー以外はメンバーチェンジを繰り返し、マーキー・ラモーン、リッチー・ラモーン、C・J・ラモーン、エルヴィス・ラモーンが歴代メンバーとして名を連ねている。

ラモーンズのメンバーは誰も血縁関係にはないが、バンドに加入した時点で全員「ラモーン」姓を名乗ることになっている。

これはバンド結成の際に中心人物だったディー・ディーが、ポール・マッカートニーがザ・ビートルズの前身であるシルヴァー・ビートルズ時代に名乗っていた芸名、ポール・ラモーンにあやかって定めたルール。

いわば“選択的メンバー同姓”という珍しい決まりを持つバンドなのだ。

ラモーンズを模して同制度を採用したバンドに、日本のOKAMOTO'Sがある。2006年に結成し、現在も第一線で活躍するOKAMOTO'Sの現メンバーはボーカル/ギターのオカモトショウ、ギターのオカモトコウキ、ベースのハマ・オカモト、ドラムのオカモトレイジだ。

オカモトマサル、オカモトリョウスケという脱退した旧メンバーを含め、メンバーは全員オカモトさんだが、その中にオカモトという本名の人はいない。

結成当初は漢字で岡本'sとしていて、由来は岡本太郎へのリスペクトからという、“選択的メンバー同姓”の典型例である。

ロック界にはほかにも、過去のザ・ダットサンズ(全員「ダットサン」姓)やザ・フラテリス(全員「フラテリ」姓)など、数は多くないが“選択的メンバー同姓”をとっているバンドがいくつかある。

さてさて。

話はここでめっちゃUターンして、「佐藤さん問題」に戻る。

日本が夫婦同姓をこのまま制度として続けると、約500年後に日本人全員が佐藤さんになるという試算結果は紹介したが、では世界の趨勢に合わせて選択的夫婦別姓を導入したらどうなるのか。

これについても先の東北大学が試算結果を公表している。

労働組合の中央組織、連合が行なったアンケート調査を参考に、結婚後に夫婦同姓を選ぶ割合を39.3%と仮定した場合だが、日本人全員が佐藤さんになるのは約800年遅れ、西暦3310年になるというのだ。

なんだ。

遅かれ早かれいずれにせよ、日本人はいつかみんな佐藤さんになるのだ。

約1300年後のことなんか知ったことかと言ってしまえばそれまでだが、世の中の人みんなが佐藤さんになったらめちゃくちゃ大変だ。

多様な苗字という日本の文化の一つが失われてしまうのは非常に寂しいし、そもそもどいつもこいつも佐藤さんになったら、銀行の窓口で呼び出されるときなんかに大混乱する(1300年後に銀行の窓口があればの話だが)。

そこで提案。

もう薄々、というかガッツリ気づいていると思うが、“選択的夫婦別姓”と同時に、ラモーンズやOKAMOTO'Sが実践している“選択的メンバー同姓”を、制度として正式に導入すればいいのだ。
 

夫婦および家族は同姓でも別姓でもどっちでもいい。

そのうえで、結束の強い他人同士の集まりで好きな苗字を名乗っちゃえばいいんじゃないかな。

そうすれば、何百年経っても何千年経っても、日本人の苗字のバリエーションはキープできるはずだ。

保守派の皆さんに思い切り叩かれ、学究派の皆さんには鼻で笑われそうな提案だが、そもそも大多数の庶民にとって苗字なんてのは、そんなに大層なものではない。
たかだか150年ほど前にはじまった単なる個人識別の記号なのだから、そんなもんでいいんじゃないの?

あまりにありふれた自分の苗字にまったくこだわりのない、私ことライター・佐藤は、無責任にもそんなふうに思っています。

文/佐藤誠二朗

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