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菅義偉氏「派閥問題」で沈む今の自民党に思うこと 完全無派閥の前首相が国民の自民党離れに危機感

東洋経済オンライン / 2024年4月5日 8時30分

結局、世の中には、そういう国があるということですね。ですから、平和安全法制を作っておいて、日本は本当に良かったと思います。

塩田:その安倍元首相が亡くなった2022年7月8日、担ぎ込まれた奈良県橿原市の奈良県立医科大学附属病院に駆けつけたと報道で知りました。

菅:まさかと思いましたよね。現実に撃たれてそうなったのを自分で認めるのにちょっと時間かかりましたね。とにかく生きていてほしいと、それだけですよ。

塩田:「同じ空気を吸いたい」と語ったと報じられました。

菅:あのとき、沖縄の参議院選挙の応援で、羽田空港に行く途中だったんです。撃たれたということで、途中で車を止めて、情報を収集しました。しばらくして、党が遊説全体を取りやめる方針を決めたので、奈良に行く決意をしました。確かその後のテレビ出演のときだったと思いますけど、「同じ空気を吸いたかった」という話をしました。

私は安倍さんが持病で退陣された後、引き継ぐ形で1年間、総理をやりました。安倍総理の政策を引き継ぎ、さらに「脱炭素社会」や「不妊治療」などに取り組みました。

振り返って見れば、安倍総理のスタイルは非常に偉大なものでした。安倍さんを失ったことは、言葉で言い尽くすことができない、非常に大きな痛手です。そういう意味で、残された者として、失われたものを再構築していくことが大事かなと思います。

塩田:その2年前の2020年9月に安倍内閣を引き継ぐ形で、官房長官に続いて首相に就任しました。周知のとおり、新型コロナウイルスによる感染症の世界的な大流行のまっただ中でした。今から振り返って、首相在任の1年間をご自分でどう評価・総括していますか。

コロナ対策に動く日本人に感嘆

菅:私は総理大臣になろうと思っていなかったし、なれるとも思っていなかった。ただ、我が国がかつて経験したことがない新型コロナの感染拡大に遭遇しているとき、安倍さんが体調を崩して退陣をせざるをえない状況となった。私は官房長官として、新型コロナの感染拡大が顕在化し始めたときから、例えば中国の武漢からの邦人の帰国とか、「ダイヤモンド・プリンセス号」が約3600人の乗組員と乗客を乗せて寄港した際の対策を陣頭指揮した経験もあり、安倍さんが辞められた後、コロナ禍の非常事態でもあり、私がやらざるをえないのかなという思いでしたね。

そういう中で総理に就任しましたので、やはりコロナ対策が私の使命でしたし、最優先でした。内外の情報を分析し、最も効果的なのはワクチン接種だと判断し、「1日 100万回接種」を総理会見で宣言して、関係者総動員で取り組みました。できるわけがないとか、いろいろ批判されましたが、結果として、1日 100万回をはるかに超えるスピードで接種が進んで、厚生労働省によれば、65歳以上は10万人が感染を免れ、8000人の命が救われました。

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