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32歳で介護離職した彼女がむしろ幸福そうな理由 フランスで働いていた彼女が親の介護の日々に

東洋経済オンライン / 2024年4月11日 12時40分

「音楽をやれる環境が与えられたのは、恵まれていたと思うし、感謝もしているんですけど……ずっと苦しかったんですよね。今思えば、自分で選んだ道というよりは、親が敷いたレールの上をずっと歩んでいたのだと思います」

音大を卒業後、音楽の道を離れて渡欧した背景には、「敷かれたレール」から逃れたいという思いと、20年以上音楽の世界に身を浸していたことによるコンプレックスもあった。

「『自分は世間知らずだ』と思っていました。世の中の常識がわかっていない気がして、自信がなかったんです。だから、若いうちに一度、大変な環境に身を置いてみたいという気持ちがあり、フランスで働くことにしました」

しかし、待っていたのは、家と職場の往復ばかりの日々。仕事は忙しいうえに、やりたくて選んだというよりはレールから逃れたくてした選択なので、心も喜んでいない。フランスでの生活は、宮本さんにとってつらいものだった。

疲弊した日々を送る中、突然知らされたのが、父の病の知らせだった。「今では、父に助けられたっていう気もするんです」と、宮本さんは振り返る。

「誰も、『そんな環境にいていいのか』とは言わないんですよ。でも、このままじゃいけないことは、自分が1番知っていて。だから父が病気になったときに、『一度リセットしなさい』って言われてるような気がしたんです」

「今こそやるときじゃないか」と、音楽の仕事を始めた

家と職場の往復ばかりの日々に戻るイメージが湧かなかった宮本さんは、日本に残ることを決意。会社に退職の連絡をし、実家がある町の隣町に家を借りた。

無職になった宮本さんが、「これから日本で、どう生活していこう」と悩んでいた矢先、大学時代の先生から思わぬ連絡があった。「演奏の仕事の求人が、あなたの地元で出ているよ」。

聞けば、結婚式場で演奏する仕事だという。世の中にある演奏の仕事は限られており、ましてやそれが地方で得られるなんて、めったにない機会だ。宮本さんは、「音楽を仕事にするタイミングがきたということなのかな」と思った。

「演奏からは何年も離れていましたけど、『今こそやるときじゃないか。もう一度音楽にちゃんと取り組まないと、あとで後悔するぞ』っていう、自分の声が聞こえてきました」

34歳で音楽に関わる仕事を始めた宮本さんは、紆余曲折がありながらもそれから16年後まで、この仕事を続けることになる。

はじめの3年は社員として。しかし、もともと聴覚過敏で人がたくさんいる場所が苦手だった宮本さんは、毎朝大勢がいる場に行かなければならない環境にストレスを抱え、3年目に休職。うつ病と診断されたこともあってすこし休んだのち、パートとして仕事に復帰した。

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