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「全収入が砂漠に水をかけるように消えていく」58歳証券マンをエジプト遺跡発掘の虜にした"渋谷のケバブ屋"

プレジデントオンライン / 2024年3月8日 11時15分

カタール王子のSheikh Saoud Al-Thani氏と(写真=本人提供)

大手証券会社でファンドの運用モデルの開発をしながら、全くの畑違いであるエジプト遺跡発掘と遺物のコレクションに人生のすべてを注ぐ58歳。なぜ、全収入を投入するほどこの世界にハマったのか、また専門家でも獲得が困難な現地での発掘権をなぜ得られたのか――。(聞き手・構成=山本貴代)

■証券マン、美術館長、エジプト遺跡発掘隊長の“三刀流”人生

「収入は全て注ぎ込んでいます。でも、砂漠に水をかけるように消えちゃうんです」

そう苦笑いするのは会社員の菊川匡さん(58歳)だ。大手証券会社に勤務するが、ただのサラリーマンではない。渋谷のど真ん中の一等地ビル4階にある「古代エジプト美術館」を2009年7月に開館させて以降、館長兼オーナーを務めている。

証券マンと美術館長、という異色の二刀流である。いや、三刀流かもしれない。実は、エジプト遺跡発掘隊の隊長でもあるのだ。いったい、どんな人物なのか。

 
写真=本人提供
メイドゥムのピラミッド墓域で発掘隊を編成して隊長をやっている。2023年3月に大量のミニチュア土器を発見し、未盗掘の墓を見つけ、夏にその墓の発掘を開始 - 写真=本人提供

聞けば、父親の仕事の関係で小4~6年までをロンドンの郊外ウィンブルドンで過ごしたという。世界史の教師だった母親と歴史好きの父親の影響で、ヨーロッパでの旅行先は遺跡巡りや博物館、美術館ばかり。学校帰りは、双子の兄弟と大英博物館(入館料無料)へ寄り道。当時から「エジプト部門のミイラに心惹かれていた」という。また、毎年サーカスがやってくる時期には友人が持っていた金属探知機を使って広場で小銭を探して遊んだ。

「サーカスを見に来た人が落とした現代のコインに混ざって、昔のコイン(稀にビクトリア女王のペニー)が出土した時のワクワクした体験は忘れられないです。僕が“地面掘り”を大好きになった原点はこれかもしれませんね(笑)。日本へ帰国する時に、家族でエジプトなどを旅したのですが、ピラミッドやカイロ博物館でツタンカーメンの金の棺をみて深く感動しました」

早稲田大学理工学部から富士銀行(現みずほ銀行)へ入社。4年ほど勤めた後、国債市場の数理的分析とトレーディングの仕事で、ゴールドマンサックスなど3社の外資系の証券会社に勤め経験を積んだ。仕事に追われ、エジプトへ思いを馳せることもなく忙しい日々を送った。

■膨大かつ良質コレクションを見るためカタール王子がわざわざ来日

古代への興味が蘇ったのは、34歳のときに旅先でたまたま訪れた下田の古美術店での古代遺物との出会いだった。

「縄文土器や弥生式土器が売られていて、一般人でも手に入れることができることに驚きました。後日、東京・京橋に古代遺物の専門店があることがわかり勾玉(まがたま)を見に行ったら、飾ってあったエジプトのブロンズ像が目に入って、大英博物館に陳列されていたようなエジプトの遺物が自分でも手に入れられるのかと興奮しました」

その後、シャブティ(埋葬用の小像)を購入(価格は失念したとのこと)したことから怒涛(どとう)のコレクター人生が始まった。集めに集めて、現在は、気づけばコレクションは2000点をゆうに超える。

それにかかった総額はおそらく億円単位だが、これに関して本人は“沈黙”。ただ、菊川さんの名はエジプト遺物のコレクターとして世界的に知られ、「僕のコレクションを見るために、9年前にカタールの王子(編集部註:Sheikh Saoud Al-Thani氏)がわざわざプライベートジェットで来日しました」という。それくらい世界的な規模感とクオリティということだ。ちなみにこの来日、ベルギーの古美術商を通して連絡が入り、事前に秘書がカタールから下見にやってきたという。

「王子が来日した時は国際親善だと思って、東日本橋の老舗の国旗屋さんまで行ってカタールの旗を買ってきました。日本の国旗とクロスさせてお迎えしました」

コレクションしたモノは、近代のエジプト考古学の基礎を作ったロンドンのピートリのコレクションを検索できるようにしたインターネットサービスを参考にリサーチしている。ここには考古学的価値の高い時代や発掘場所のはっきりした小さなものや断片が約8万点載っている。それまでエジプト学を学んだことはなかったが、新規で手に入れた遺物の背景を調べるたびに新しい発見が増え、ジグゾーパズルの謎が解けるように古代エジプトへの理解が深まっていったという。

「最初の頃は偽物を買ってしまったこともありました。でも大学院時代に化学分析などもしたこともあり、購入したガラスの偽物2点を発見した経験も。普通は、返品は受け付けないのですが、分析結果をもとに抗議して、逆に大きなミイラマスクを手に入れました」

この世界は、投資の世界と同じように、高く買う人に情報が流れる仕組みだから、「本物を保証してくれる古美術商から高く買うんです」と菊川さん。だから偽物だとわかると返品させてもらうし、先に買わないと学びはないそうだ。

とはいえ、なぜ大人になってこんなにも没頭したのか。

■日本各地9カ所で巡回展、小中学校などへの「出張美術館」の活動

「古代エジプトは、僕が日々かかわっている世界の経済情勢、日銀の政策、投資家動向などを睨む金融の仕事と全く関係なかったからかもしれません。(精神分析学の創業者であり精神医学者の)ジークムント・フロイトは古代エジプトを含む古代美術のコレクターでもありました。彼は遺物をみることで精神の安定を図っていたそうです。僕にはその気持ちがよくわかります」

また、次のようにも話す。

「古代エジプトの遺物を集めることは、ある意味、発掘と似ているんです。いつ何が出てくるかわからないから。両方とも最大の楽しみは、その背景を調べること。入手した時点で、時代と発掘場所と用途がはっきりわかる場合はほとんどありません」

コレクションが多く集まり出した2000年ごろからは、エジプト学の研究会や、学者が集まる会にも積極的に出席するように。当時35歳。古代ガラス研究者などと交流したのがきっかけで、ガラス工芸学会にも入会。ガラス工芸学会の大会の懇親会ではそれを専門にする東京理科大学の教授と出会い、その縁で理科大に考古遺物を貸し出すなどして関係を構築。すると、「うちに来ないか」と誘われ、1年通ったあとドクターコースに入った。

「一時、もう仕事は引退しようとも思ったんですが、ドクターをやりながら、また仕事に戻り、現在はある証券会社で運用モデルの開発をしています」

勤務は平日の8時から17時まで。退職間近の年齢で、現役プレーヤーなのは稀な存在だ。会社員人生では今が一番忙しいそうで、「自分が開発した運用技法を使ったファンドが売れるとうれしいですね」と笑う。仕事も楽しいし、発掘も楽しい。

そして収入のほとんどを湯水のごとく古代エジプトに投入し、美術館を作ったのは2009年のこと。43歳の時だ。コレクションに励んでいた時、自分がかつて大英博物館で見ていたように、常時見られる場を作りたいという気持ちがふつふつと沸き、「そろそろ自分がそういう場を作る番なのではないか」と思い、作ったという。

美術館は渋谷のど真ん中にありながら、昔も今も土日の午後しか開けていない。中を覗いてみれば、ミイラもいるし、ミイラに被せるミイラマスクもある。ミイラマスクは紀元前1世紀~紀元後1世紀ごろの遥か昔のものだが、そうとは思えないほど色鮮やか。館内はこぢんまりとした空間ながら、工夫が凝らされている。いくつかの部屋に分かれていて、仕掛けなどもあり十分楽しめる。

ただ、ジャンルがマニアックなだけに、来館者は数人のことも珍しくなかったが、徐々に増えて現在は、土日で50~60人ほどの来館者があるという。さらに、西日本新聞主催で、日本各地9カ所で巡回展をしていて、福島県いわきでは約4万人もの来場があったという。次の会場は鳥取県立博物館(4月6日~5月12日)での開催だそうだ。

古代エジプト美術館にて。飾られているのは、紀元前1世紀~紀元後1世紀ごろの男女のミイラマスクだ
写真=本人提供
古代エジプト美術館にて。飾られているのは、紀元前1世紀~紀元後1世紀ごろの男女のミイラマスクだ - 写真=本人提供

また、都内の小中学校などへの「出張美術館」の活動もしている。

「子どもたちに見る機会を提供したいんです。そのためにはこちらから出向くのがいいのではないかと思って。これまでに東京の足立区と中野区、大阪の西成区釜ヶ崎のNPOへも出張しました」

「出張美術館(古代エジプト美術館展)」では、菊川さんは先生になる。発掘の様子、エジプトの街の様子など講義をしながら、遺物を見る時間を作る。エジプトの死生観の話もする。ブロンズ粘土を使ってのアミュレット作りもする。コレクションに本物のアミュレットの型があるので、それを複製したものを使って子どもたちはワークショップで糞転がしやベス神を作るという。

■専門家ではないのに「発掘権」を獲得できたワケ

社会人になってからコレクションを熱心に続けてきた菊川さんには、別の願望もあった。それは自分自身で現地での「発掘権」を得ることだ。理科大時代に遺跡発掘に隊員として参加したことはあったが、発掘権はエジプトの観光考古省と正式に契約しないと得られないのだ。

遠い夢であったが、ある日突然、風向きが変わった。

渋谷のエジプト美術館の隣にケバブ屋があって、そこの若いエジプト人のスタッフがある日、菊川さんに言った。「ザヒハワスという有名なエジプト考古学者が、あなたの美術館に入りたいというから開けてくれないか」。

ザヒハワスといえば、エジプト国内とエジプトに関心がある人ならば誰もが知る人物だ。こんなスゴイことはないと、菊川さんは快諾し、ザヒ氏を美術館へ案内した。

すると、「僕は埼玉で講演をするのだけれど、聞きに来ないか」とじきじきに言われ、仲良くなりたいという一心でディナーにも参加させてもらった。宴の最後に参加するだけでもよかった。寿司屋でのディナーは、在日大使なども含め10人ほどだった。みんなよく食べよく飲んだ。菊川さんは会の終わり頃に呼ばれて、全員分をご馳走したという。そういう展開になるだろうと思っていた。バカにならない出費だったが、それでよかったと感じている。作ろうと思ってもできない人間関係ができたからだ。

実際、その後、ザヒ氏から「ここを掘ってみれば」という連絡が入った。さっそく観光考古省へ申請するとたちまち調査の許可が下りて2019年から地中レーダー探査をおこなった。コロナで間が空いてしまったが、その結果をもとに発掘申請し許可がついに下り、初めて発掘したのは2022年の夏のことだ。

2022年、21年越しで古美術商から譲ってもらった一番気に入っているシャブディシャブティ
写真=本人提供
2022年、21年越しで古美術商から譲ってもらった一番気に入っているシャブティ - 写真=本人提供
『エジプト人シヌヘ』(みずいろブックス)の翻訳の監修を手がける。3月中旬から下旬の発売予定
『エジプト人シヌヘ』(みずいろブックス)の翻訳の監修を手がける。3月中旬から下旬の発売予定
イギリス時代、小学校6年生の時習った古代エジプト文明のノート
写真=本人提供
イギリス時代、小学校6年生の時習った古代エジプト文明のノート - 写真=本人提供

日本人で掘っているチームは少ない。いい場所は、もちろんみんなが掘りたがる。件の食事会にいたエジプト人の旅行会社の人が動いてくれて、菊川隊長を含む古代エジプト美術館と駒澤大学の発掘チーム10人をエジプトまで導いてくれた。

現地で「クレーン2台買えるか?」と言われたが「それは無理です」と即答、移動と発掘物の運搬用のジープは買ったという。

こうしてザヒ氏との縁で発掘の現場に立った菊川さん。実は重要な遺跡であるメイドゥムピラミッドがあるその場所での発掘は100年ぶりのことだったそうだ。

「発掘は、歴史を調査し、過去の人間の営みを復元することです。エジプトをジャパンクオリティで調査したい。それができた。こんなに楽しいことは他になかった」

ただ、地中レーダーを使って約3m堀ったが、何も出なくてその穴をまた埋めたという。虚しかった。

しかし翌年3月、今度は早稲田大の先生と1カ月毎日通い発掘に行ったら、100点を超える土器を発掘することに成功した。そんな世紀の発見の瞬間、菊川さんは、熱中症で高熱が出て、ホテルで寝込んで倒れていたという。

「決定的な瞬間を逃しちゃいました」

季節は春だったが、エジプトの日中の気温は40度を軽く超える。朝早く現場に行き、13時には現場をあがるという。ホテルに戻ってからはデータの整理、写真の整理が待っている。もちろん出土したものは国に収めるのであり、個人の手に入るわけではないが、そんなことはどうでもよかった。世紀の瞬間に立ち会えないという手痛いミスを犯してしまったが、この発掘は、菊川さんにとって天にも昇るような気持ちだったと言う。

エジプト発掘とは菊川さんにとってどんな存在なのか。

「発掘で新しい発見があれば、過去の社会・生活の再現を可能にし、自分にとって新しい知見になるのはもちろんですが、エジプト考古学の分野でも新しい知見になると思う。その成果をグローバルな社会に還元したいと思っています。美術館をやっているのも、巡回展をやっているのも、小中学校に出張美術館をやっているのも、自分としては楽しい古代エジプト文明の体験を社会還元したいという思いがあります」

■誰もやったことがないことをやりなさい、という両親の教えもある

「発掘は“夢”です。これまで、可能性を信じてやってきました。ずっと何も見つからなかったけれど、チャンスが回ってきて、前回はたくさん見つかった。この体験は何ものにも変えがたいです。この3月にもまたエジプトへ行って、実測図を書きます」

発掘では、これまで情熱と実現に必要な資金をかけてきたという。「普通はパトロンがいるものだけれど、僕は砂漠に水をかけている。自分で発掘して自分がパトロンのようです」と笑う。

古代エジプト美術を日本に広めようと日々奮闘する菊川さん
写真=本人提供
古代エジプト美術を日本に広めようと日々奮闘する菊川さん。「(渋谷の)美術館は、人々が古代エジプト美術に興味を持つきっかけになればいい。それが願いです。もう欲しいものはないです。体が動くまで、発掘し続けたい」 - 写真=本人提供
【古代エジプト美術館】
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山本 貴代(やまもと・たかよ)
女の欲望ラボ代表、女性生活アナリスト
静岡県出身。聖心女子大学卒業後、1988年博報堂入社。コピーライターを経て、1994年~2009年まで博報堂生活総合研究所上席研究員。その後、博報堂研究開発局上席研究員。2009年より「女の欲望ラボ」代表(https://www.onnanoyokuboulab.com/)。専門は、女性の意識行動研究。著書に『女子と出産』(日本経済新聞出版社)、『晩嬢という生き方』(プレジデント社)、『ノンパラ』(マガジンハウス)、『探犬しわパグ』(NHK出版)。共著に『黒リッチってなんですか?』(集英社)『団塊サードウェーブ』(弘文堂)など多数。

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(女の欲望ラボ代表、女性生活アナリスト 山本 貴代 聞き手・構成=山本貴代)

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