芸人を”監禁”し、懸賞の賞品だけで生活させる…「電波少年」が芸人を次々と極限状態に追い込んでいったワケ
プレジデントオンライン / 2024年4月27日 10時15分
■『進め!電波少年』の人気を確立した企画
1990年代、テレビの世界を席巻したのが「ドキュメントバラエティ」だ。笑えるバラエティと真面目なドキュメンタリーという、一見水と油の関係の2つを結びつけた番組のこと。その先鞭をつけたのが、『進め!電波少年』に始まる日本テレビの『電波少年』シリーズだった。テレビ史に残る「事件」の連続だったその歴史を改めて振り返ってみよう。
1992年7月に始まった日本テレビ『進め!電波少年』。その人気を確立したのが、1996年4月から放送された「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」だった。
無名の若手芸人コンビ・猿岩石(森脇和成・有吉弘行)の2人が香港を出発し、ヒッチハイクでロンドンを目指す。出発時点で10万円を渡されるが、それがなくなったらあとは自分たちでなんとかしなければならない。
そもそも2人は、別の仕事とだまされて香港に来ていた。そしていきなりヒッチハイク旅のことを聞かされたのである。どれほど大変なことになるかピンと来なかった2人は、わりと簡単に引き受けてしまった。
ところが、旅は想像を絶する苦難の連続だった。野宿続きは当たり前、時には飲まず食わずで数日間ということもあった。栄養失調になったこともある。だがそれもまだましなほうで、有り金を全部盗まれたり、犯罪者と間違われ留置場に入れられたりもした。
■ヒッチハイク企画はテレビ界の「事件」である
そんな2人を、視聴者は家族か親しい友人を見守るようにハラハラしながら応援した。そして無事危機を脱出したときにはホッと安堵した。爆風スランプがインドにいた2人のもとにわざわざ出向き、オリジナルの応援歌「旅人よ〜The Longest Journey」を熱唱したこともあった。
そして半年後の10月にロンドン・トラファルガー広場に無事ゴール。その様子は実況中継もされた。いかに世間の関心が高かったかがわかるだろう。
猿岩石が帰国してからの熱狂ぶりも凄かった。道中の心境を赤裸々に記した『猿岩石日記』は累計250万部を売り上げた。また藤井フミヤが詞と曲を書いた「白い雲のように」を猿岩石自らが歌い大ヒット。こちらもミリオンセラーとなった。有吉弘行が昨年末藤井フミヤとともに『NHK紅白歌合戦』で歌ったのも記憶に新しい。
世の中の盛り上がりもそうだったが、このヒッチハイク企画自体がテレビバラエティ史におけるひとつの「事件」だった。
■バラエティに感動を持ち込んだ
これ以降、バラエティの世界で感動の要素が欠かせないものになった。従来バラエティ番組はとにかく無条件に笑えるものがよく、感動とは相容れないというのが常識だった。
ところが、このヒッチハイク企画はバラエティに感動があってよいことを証明した。放送後に、実は政情不安定な地域を飛行機で移動していたことが明らかになったが特に大きな問題にはならなかった。すでにテレビと視聴者の“共犯関係”が成り立っていて、これはバラエティであり、そのうえでの感動なのだという認識が広く共有されていた。
この成功をきっかけに、テレビバラエティの世界では、「未来日記」(「日記」に書かれた台本通りに演じることで恋愛感情が芽生えるかを一般男女で実験する企画)をヒットさせた『ウンナンのホントコ!』(TBSテレビ系)や「ガチンコ・ファイトクラブ」(喧嘩自慢の元不良たちを集め、ボクシングのプロテストを受けさせる企画)が有名な『ガチンコ!』(TBSテレビ系)など、「ドキュメントバラエティ」と呼ばれる一群の番組が生まれた。いずれも感動できるバラエティとして人気を集めることになる。
■元首相の眉毛を切る企画
『進め!電波少年』は、開始当初から予定調和にだけはしないというポリシーを貫いていた。それゆえ、そこでも次々と「事件」が起こった。
松村邦洋や松本明子も、MCという肩書でありながら数々の番組からの無茶ぶりに挑んだ。
主に松村担当だった体を張る企画はそのひとつ。「渋谷のチーマーを更生させたい!」という企画では、センター街にたむろするチーマーのなかに松村が単身飛び込んだが、逆に連れ去られそうになるなどひどい目にあった。
「地球温暖化を食い止める」という名目で、メタンガスが多く含まれる牛のゲップを直接吸い込んで悶絶したこともあった。まさに命がけである。
事前の約束なしに有名人に突撃する、いわゆる「アポなし」企画も過激だった。
相手が政治家であってもお構いなし。首相にもなった村山富市のトレードマークは長く伸びた眉毛。松村がいきなり村山のもとを訪れ、その眉毛を切らせてほしいと懇願する。すると村山は困惑しつつも、結局左右両方の眉毛を切ることを許してくれた。
■相手が誰であろうとアポなしでいく
もっと驚かされたのは、松本明子がPLOのアラファト議長(当時)に突撃する企画。その目的は、有名な「てんとう虫のサンバ」の「あなたと私が夢の国♪」という出だしの部分を「アラファト私が夢の国♪」と替え歌にしてアラファト議長とデュエットしたいという、なんともふざけたもの。
松本が現地に赴き、周囲に銃を携えた護衛が控える物々しい雰囲気のなかでの交渉だったが、なんと面会に成功。相手は日本語がまったくわからず、さすがにデュエットは叶わなかったが、歓迎されてサインまでくれた。
2人は、このほかにもなにかと話題を呼んだ。
松村邦洋は、他局のナイター中継にゲスト出演した際に、『電波少年』の裏番組を「見てください!」と宣伝してしまった。そのため出演自粛に。そこから視聴者投票で松村をどうするか決めるなど、降板騒動になった。
松本明子のほうは、「紅白潜入」が印象深い。デビューが歌手だった松本にとって『紅白』への出場は長年の悲願。番組中、NHKを訪れて直接訴えたりもした。だが夢は叶わず、結局本番中に合唱団のひとりとして潜入し、「紅白もらった」と大書したのぼりを壇上で掲げる。実際、その姿はNHKのカメラに映し出された。
■人間を極限状況に置く
こうした際どい企画を連発したのは、演出・プロデュースを務めた日本テレビ(当時)の土屋敏男。『スターウォーズ』のダース・ベイダーのテーマとともに「Tプロデューサー」や「T部長」として自ら番組中に登場したことでも有名だ。
前回もふれたように、土屋は『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』のスタッフとしてテリー伊藤のもとで働いた。『電波少年』の過酷なロケや「アポなし」が、伊藤の発想や演出法を受け継いでいることはいうまでもない。
中でも、テリー伊藤のドキュメンタリー的手法をより徹底したところに土屋の真骨頂はあった。人間を極限状況に置くことで見えてくるぎりぎりの姿のなかに、驚きを伴ったリアルな笑い、そして感動があると考えたわけである。
その大きな成功例となった猿岩石のヒッチハイク企画を受け、無名の若手芸人を起用した企画も次々と番組に登場した。
ヒッチハイク企画第2弾はドロンズ。今度は「南北アメリカ大陸横断ヒッチハイク」だった。2人のゴールする様子は『紅白』の裏で生中継され、15%を超える高視聴率をあげるなどこちらも人気になった。さらにドロンズは、ロシナンテというロバとともに「日本縦断ヒッチハイク」の企画にも挑戦した。
■「人は懸賞だけで生きていけるか?」
こうした旅企画の逆パターンと言えるのが、なすびが挑戦した「電波少年的懸賞生活」である。
「人は懸賞だけで生きていけるか?」がテーマ。若手芸人が多数集められたなか、くじ引きで当たりを引いた(つまり、運が強い)なすびがワンルームの部屋に連れていかれ、全裸状態から企画がスタート。
ひたすら懸賞にはがきを送り、衣服から食料まですべて当選賞品だけでまかなわなければならない(食料だけは当初乾パンが番組から支給されていた)。当選品の総額が100万円に達したところでゴールとなる。結局約11カ月かかって目標達成となった。
当たり前だが、そう思い通りに懸賞が当たるわけではない。食料などはすぐにも欲しいがままならない。しかも部屋から出てはいけないので気分転換もできない。
そうした中、なすびは、一心不乱に応募はがきを書き続ける。その枚数は1日平均約200枚。それが少しずつ報われ、当選の品が宅配便で部屋に届く。待望の米などが当たり、なすびが踊る「当選の舞」は嘘偽りのない切実な喜びの感情にあふれていた。
■お笑い芸人がブレークする新たな道に
これらの挑戦には、普通の生活では考えられない過酷さが伴う。当然、一般の素人を起用してやるなどはできない。曲がりなりにもプロである若手芸人を使うことでようやく企画として成立したと言える。
そうだとしても、SNSがこれだけ普及した現在なら、撮影場所の特定などのネタばれ、さらにはコンプライアンスの観点からの批判が容易に想像できる。企画自体、実現しない可能性は高いだろう。
実際、出演した芸人たちが後にインタビューなどで吐露しているように当時追い詰められた心理状態になったことも確かであり、そうした面への配慮はいまや必須だ。
ただ、『電波少年』のドキュメンタリー的演出スタイルによって、お笑い芸人がブレークする新たな道がひらかれたということは言えるだろう。
ネタの完成度や大喜利で見せるセンスの高さだけが芸人の本領ではない。何事にも愚直に必死で取り組む姿が笑い、そして感動を呼ぶタイプの芸人もいる。
その筆頭格である出川哲朗も、『電波少年』シリーズでさまざまなロケ企画に挑戦したひとりだった。番組としては『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)なども、過酷な挑戦企画から芸人の人間的魅力を引き出す路線を受け継いでいるだろう。
その意味で、『電波少年』の残したものは決して小さくない。
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社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)
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