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新たな「ひらめき」の場を 無限四角で注目の美術家MINAMI MIYAJIMAさん 一聞百見

産経ニュース / 2024年5月10日 14時0分

展示作品の前で「JITSUZAISEI」の運営について語るMINAMI MIYAJIMAさん=大阪市東成区(須谷友郁撮影)

四角形を描きながら、絵画なのかデザインなのかよく分からないけれど、どこか気になるアートを作る作家である。スクエアアーティスト、MINAMI MIYAJIMA(ミナミ・ミヤジマ)さん(26)は数年前から大阪市東成区の借家を改装してアートスペース(ギャラリー)を始めた。カフェバーも併設しているため、アーティストでアートスペースの代表でカフェバーの主人で主婦でもある。いくつもの顔を使い分け、忙しい日々を送る若き美術家を訪ねた。

カルチャーが見つかる場所・今里で

しばらく見ないうちに、ずいぶん大人になったなあと感じたのは、きっと彼女がキャップ(野球帽)をかぶらなくなったからだ。

初めて会ったのは3年ほど前。知り合いの作家の個展を見に行ったギャラリーのコンクリートの土間に、不覚にも万年筆を落としてしまい、ペン軸を折るという不運に見舞われた。

そのとき、「接着剤、ありますから」と、手際よくその場でくっつけてくれたのが、ストリート系ファッションを意識してキャップをかぶり、そこで個展を開いていた彼女だった。

天井や壁面、床、さらに彫刻や調度品まで、自分の周りを全て手描きの四角形で埋め尽くした彼女のインスタレーションに、不思議な情熱を感じた。それが縁で、何度か取材する機会があった。

彼女が代表を務める「JITSUZAISEI(ジツザイセイ)」がオープンしたときも取材した。大阪・今里の住宅街にある3階建て民家をギャラリー仕様に改装した、知る人ぞ知る隠れ家的アートスペースである。

「今里っておいしい有名店もあれば80歳くらいのおばあちゃんが550円でかつ丼を出してくれる店もある食文化豊かな町。近くに商店街もあるし、掘れば掘るほどカルチャーが見つかる場所です」

店内に入ってすぐに吹き抜けがあるトリッキーな構えで、大きな作品の展示も可能。1、3階が展示スペースで2階に自分がデザインした壁に囲まれたカフェバーエリアがある。

現在、女児の日常を愛らしく描いた「甘いパンが食べたい ひすい個展」を開催中だが、取材に行ったときには「宏美企画ドローイング展『せいめい』」をやっていた。26作家170点弱の作品を並べた展示で、初日の3月30日には開幕前からお客さんが並んだ。

「そんなのはオープンしたとき以来の出来事。3年の節目でこの展示をやって、自分ながらに成長したなって感じます」

宏美は実在する風景にキャラクターなどを描き入れる岡山在住のアーティストで、東京でも注目されている。今回は彼女が「大阪で展覧会をやろう」と仲間たちに呼びかけて行われた企画展だった。

「今この展示に関われているのが不思議なくらい。幼い頃から追いかけてきた人が、たくさん出展しているんです」

ギャラリーの運営は、展示作品の売り上げの何%かをマージンでもらう形で出展料は取らない。月1回ペースで行う企画展は持ち込みもあれば、自分からアーティストに話を持ちかけることもある。作品のクオリティーを保つため、企画展は厳しく審査を行うが、中には変わり種もある。例えば「粘菌」をテーマにしたアカデミックなアート展。意外にも、これは人気を集めた。

「でも、大滑りしたものもいっぱいあります。誰も来ない、誰も買わない…。もうやめよう、と思ったこともありました。それでも、バーをやって、そのもうけで光熱費などが赤字にならなきゃいいや、と」

もともと、力がありながら、作品が売れない作家たちのために、という思いが強く、もうけたいというのは二の次だったのだそう。

とはいえ、人気が出るのに越したことはない。

「関わってくださった作家さん方のおかげで少しずつ知名度は上がってきていて、お客さんも増えてきています。いずれはここをアート好きな人やコレクター、アーティストがたくさん集まってひらめきを共有し、新しいものが生まれる場所にしたい」

夢を語る顔は、もう立派な経営者である。

「モヤ」から「スクエア」へ

公式の自己紹介文には、次のように記されている。

《とくにアーティストになりたいわけでもなく、自分が自信を持って得意と言える分野が絵を描くことだったからずっと続けていた》

小さな頃から絵を描くことが好きだった。「イラスト雑誌を見ながら人物を描いていました。それで、美術系高校に進学したのですが、絵がうまい人がごろごろ」。何となく自信が揺らいだ。そのうち、人間関係まで嫌になってきた。

「いろんな人が、いろんなことを言うじゃないですか。そんな中で、発言を少しミスっただけで人から嫌われる。嫌われたくない、と神経症のようになって。人の顔色をうかがいながら、一人で被害妄想になっていました」

それが17歳のとき。結局、人に会うのが嫌になり不登校になった。その頃、手癖で四角形の落書きをして画面を埋めていたら、なぜだか気持ちが落ち着いた。今ではスタイリッシュに「スクエア」と呼んでいるが、黒い色の線で描いた四角形で白い画面を埋めつくすその手癖の絵画作品のことを、彼女は当時「モヤ」とか「派生」と言っていた。

「アートを描いているという感覚はなかったのですが、だめもとで高校のコンテストにこの柄でエントリーしたら賞をもらえたんです。そのときに、自分の思い込みだけで物事を判断してはいけないと学びました。自分が良くないと思っても、人は良いって判断してくれてるやんって。それから自信がつきました」

大阪芸術大学に進みデザイン学科に入ったが、高校時代に学んだことをなぞっているように感じ、同級生たちとも合わなかったこともあって3カ月で退学した。

「私は学びたいことだけ学びたい。組織の中に入るのは向いていないのだと思います。アートフェアに出展するなど、もっと自分でやれることがあるんじゃないかと」

イタリアのはずれにあるマルタ島への留学を考えていた。そのために、お金を稼がねばならない。それで大阪市内の印刷会社に社員として勤めた。最初は苦手な接客部門にいたが、半年後に制作部門に移った。「留学を待ちながら社会人経験を積んでいた頃、コロナがやってきたんです」

1年契約だったので会社を辞め、ギャラリーをやろうと思いついて、そのための活動をスタートさせる。一方、令和2年には大阪市内のギャラリーで「モヤ」「派生」でのインスタレーションによる初個展を開くなど、制作活動にも力を注いだ。

「モヤ」は次第に評価されるや、ゆっくりと進化を遂げ、ただの平面の四角形の集積が今や奥行きを持つ空間表現へと変わった。

その「モヤ」が、世界に飛び立とうとしている。グリッドで構成された幾何学的な作品で知られる現代美術家、エステル・ストッカーと交流があることから、5月にオーストリアのウィーンに生まれる新しいギャラリーのオープニング企画展に、日本人でただ一人招待されたのだ。

「4年目に入ったこの店もですけど、モヤから10年、やっと道が開けてきたような気がする。やっぱり継続は力なんですね」(正木利和)

ミナミ・ミヤジマ

平成9年5月、大阪市此花区生まれ。小さな頃から絵を描くことが好きで、大阪府立港南造形高から大阪芸術大に進んだが、3カ月で退学。その後、働きながら制作活動を続け、令和3年4月に大阪市東成区にアートスペース「JITSUZAISEI」(ジツザイセイ)を立ち上げた。

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