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現役東大生の経営者が考える「使えない高学歴者」が生まれる理由「専門スキルを身につけるために、労働者や同僚としてのスキルを捨てた人が多い」

集英社オンライン / 2024年3月27日 11時30分

勉強はできるけど仕事はダメな「高学歴人材」はなぜ生まれてしまうのか。東大ベンチャー企業の社長として多くの東大生と日々仕事を共にしている、西岡壱誠氏の考えは。

『高学歴のトリセツ 褒め方・伸ばし方・正しい使い方』より、一部抜粋・再構成してお届けする。

仕事に必要な3つの能力

さて、「頭がいいからこその問題」がなぜ生じてしまうのかを、細かく検討してみましょう。

この問いを考えるために、僕はいろんな人に話を聞いてみました。

高学歴の社長さんや、高学歴が多い会社の管理職、また海外出身の方が多い職場の部長さん、海外で働いている人など、さまざまな立場の方にお話をうかがった中で、「あ、これは参考になるな」と思った話がありました。



その話を教えてくれたのは、スウェーデンで20代にして小中学校の校長先生をやっている田中麻衣さんでした。彼女はスウェーデンの学校で、多くのスウェーデン人の部下と一緒に仕事をして、まだ20代にもかかわらず立派に校長先生として活躍している女性です。

スウェーデン人という、「自分とバックグラウンドが全然違う人たち」をどのように束ねているのか、その秘密を聞くと、こんなことを語ってくれました。

「私は自分の学校で、仕事に必要な資質を3つに分類しています。

・『先生としての能力』
・『労働者としての能力』
・『同僚としての能力』


この3つです。

このうち、どれか1つでも著しく欠けていると、残念ながらその人は学校には相応しくない人になってしまいます。

『先生としての能力』は言うまでもなく、生徒にいかにうまく勉強を教えられるかという能力です。親御さんとのお話の仕方とか、生徒の質問への対応などもここに含まれますね。

そして実は、スウェーデンにおいて、先生方はこのスキルがとても高い場合が多いんです。日本よりも先生になるための試験が難しいので、資格試験を突破できている時点で、先生としての能力は高いことは保証されています。

そして多くの人は、先生に求められる能力は『先生としての能力』だけだと考えていると思うんです。

でも、重要なのは『労働者としての能力』と『同僚としての能力』。こっちの能力がきちんと揃っているかどうかです。

『労働者としての能力』は、日本でいえば『社会人スキル』と言われるようなものです。上司の先生が指示を出したときにそれに従ってくれるかどうか、勤怠管理や経理などをしっかりとやってくれるかどうか、レスポンスが早いかどうか、などですね。

このスキルは正直、人によってはかなり低いこともあります。指示を出しても『なんでこんなことをやらなければならないんだ』と言って突っぱねる人もいます。

また、スウェーデンは労働者の権利についての考え方が日本よりも浸透しているので、学校という職場においてどうしてもお願いしたいことを、労働者の権利としてやってくれない、なんてこともあります。

もちろんこちらの指示が間違っている場合もありますが、学校運営全体で考えるとこの人たちは正直困った人たちになります。

もう1つ、最後は『同僚としての能力』です。

要するに、仲間としてやっていくときに気持ちがいい人かどうか、です。

 単刀直入に言うと、その人がオフィスに入ってくるだけでちょっと空気が変わって、みんなが萎縮しちゃうような人。または、協調性がなくて、周りに合わせてくれなかったり、過度に攻撃的だったりする人。日本にもいますよね。

やっぱり一緒に仕事をやっていく同僚として、周囲と合わせる能力は必須です。どんなに先生として素晴らしくて、生徒からも親御さんからも好かれていても、同僚からクレームの嵐だったら困りますよね。

私は、この3つの能力が揃っているかどうかを見て先生の採用を決めます。どれか1つでも欠けている人に対してはしっかりと話をして、3つの能力の最低ラインを超えてもらえるように心がけています」

専門家としての能力があるだけではダメ

ということで、採用にあたっては『先生としての能力』『労働者としての能力』『同僚としての能力』を見ている、という話でした。

この話を聞いて僕は、「高学歴に関しても、まさに言えることだ」と感じました。

「先生としての能力」は、「専門家としての能力」と言い換えることができます。そして大抵の場合、会社は「労働者としての能力」と「同僚としての能力」ではなく、「専門家としての能力」を見て採用を行っています。

プログラミングのスキルを持っているか、英語が使えるか、法律について専門的な知識を有しているかなどは、履歴書や面接で測れる場合が多いですよね。ですから、「専門家としての能力」があることを確認して会社に採用するわけです。

そして、高学歴は「専門家としての能力」は申し分ないことの方が多いでしょう。英語が話せる、専門的な知識がある、文章を書くスキルが高い、などですね。

でも、「労働者としての能力」と「同僚としての能力」はどうでしょうか?

部下として扱うと、「労働者としての能力」が低くて上司や会社の慣習に従ってくれないこともあるでしょう。「同僚としての能力」が低くて、軋轢を生んでしまったり衝突を繰り返したりすることもあるでしょう。

どんなに「専門家としての能力」が優秀だとしても、能力があったとしても、「労働者としての能力」と「同僚としての能力」が著しく欠けていると、「いい人材」にはならないのです。

ここで「上司から連絡が来ていないときのリマインドのやり方」を想像してみましょう。
AさんとBさん、あなたはどちらと一緒に仕事をしたいですか?

Aさん    「こちらの案件、進捗どうですか?」
Bさん    「こちらからリマインドの連絡できておらず申し訳ありません。この案件、進捗いかがですか? お忙しいとは思うのですが、ご連絡お待ちしております」

別に、Aさんが仕事として間違っているわけではないですよね。「もうちょっと言い方ってもんがあるだろ」と思わないわけではありませんが、でも別に間違っているわけではありません。

英語の筆記試験で「上司への連絡を英語で書きなさい」という問題があったときに、Aさんの言ったことを英語で書けば正解になります。それに「進捗の管理」という専門家としての責任はしっかり果たしているので、問題はないわけです。

とはいえ、おわかりだと思いますが、Bさんの方が、労働者としてコミュニケーションが円滑にできますし、一緒に働く上では気持ちがいいですよね。

このように、「専門家としての能力」が高くても、「労働者としての能力」「同僚としての能力」が低いと、Aさんのような連絡をして、人間関係に不要なストレスを生んでしまうのです。

高学歴は「労働者としての能力」「同僚としての能力」が低い?

そして、誤解を恐れずに炎上覚悟で言いますが、高学歴には、「専門家としてのスキルを身につけるために、労働者や同僚としてのスキルを捨てて専門性を身につけた人」が多いと思います。

例えば、「天才」や「秀才」という言葉を聞いたとき一般的にイメージする人物像は、学問に本気で向き合って、恋愛とか生活環境とか、娯楽とか遊びとか、そういったものを犠牲にして勉強する人ですよね。

そのイメージは概ね間違っていなくて、いい大学に入るために部活にも入らず、友達とも遊ばずひたすら勉強していた人もいますし、中には食事や風呂の時間まで勉強をしていた人もいます。もちろんそうした傾向は最近は緩和傾向にあり、勉強だけをひたすらやっていたという人は少なくなっている印象がありますが、しかし事実として、「自分は青春を捨てて勉強に時間を捧げてきたんだ」と語る高学歴の人は少なくありません。

 実際、高学歴の人を見てみると、小学3年生の時から中学受験のために週5で塾に通い、中高6年間も学校からの膨大な宿題を終わらせるために1日3時間・休日は9時間勉強し、高校2年生の3学期からは「今からは高校3年生の0学期だ、受験生としてひたすら勉強しろ」と言われ、睡眠時間を削って勉強し、移動の時間やトイレや風呂・食事の時間でもスマホで勉強し、もしそれでもうまくいかなかったら、もう1年間ただひたすら勉強する浪人生活を送って、そのあいだ受験勉強をしていなかったら得られたはずのさまざまな青春や社会経験を捨て、その結果として高学歴を得ている人が大半です。

つまり、「専門家としての能力」を手に入れるために、普通の人が部活をしたり友達と遊んだりして得ているはずの、ちょっとした対人スキルとかコミュニケーション能力を得る機会がなかった、「労働者としての能力」「同僚としての能力」を頭のよさの対価として捨ててしまった人が高学歴なのです。

「『化粧』なんて科目、東大入試にあった?」

ギャンブル漫画『賭博黙示録カイジ』に、「人は金を得るために、人生の多くの時間を使っている。言い換えれば、自分の存在……命を削っている」という有名なセリフがありますが、それと同じように、「高学歴は学歴を得るために命を削っている」わけです。

そりゃ、連絡も「こちらの案件、進捗どうですか」になっちゃうわけです。確かにこんな連絡、学生時代に部活をやって先輩後輩の礼儀を学んでいたらダメだとわかるものですが、「そういう機会がなかったんだからしょうがない」と割り切るしかない話なんですよね。

「勉強ではうまくいっていたのに、社会に出てから全然うまくいかない」と高学歴自身も考えることが多いですが、それは単純に、受験勉強や大学の研究と企業で求められているスキルが違うので仕方のないことなのです。

ですから、もう、仕方ありません。

もしあなたが「高学歴の部下を持ってしまった上司」なのであれば、あなたの部下が「労働者としての能力」「同僚としての能力」に欠陥があるのは、もう仕方がないことだと一旦諦めてください。

だって一概に、その人が悪いとは言い切れないのですから。

機会がなかったから学べなかった、というのは当たり前の話です。

個人的な話になりますが、昔、東大の女友達が美人なのに化粧を全然しない人だったので、「〇〇さんは化粧しないの?」と聞いたことがありました。そのとき返ってきた答えは「何言ってるのよ。『化粧』なんて科目、東大入試にあった?」です。

 僕は「お前こそ何を言っているんだ」と思いましたが、しかし彼女の言う通り、勉強の代わりに別の部分のスキルを得る機会がなかったのですから、こればっかりはもう、しょうがないのです。だって、高学歴になるための試験には「社会人スキル」や「コミュニケーション能力」がないんですから。

重要なのは、高学歴の人に「労働者としての能力」「同僚としての能力」を身につけてもらうための工夫を、我々の方が心がけてあげることです。

当たり前ですが、初めから「労働者としての能力」「同僚としての能力」が完璧な人はなかなかいません。彼ら彼女らが「専門家としての能力」のスキルを努力で身につけた通り、努力で「労働者としての能力」「同僚としての能力」も身につけてもらう必要があります。

大変そうに思うかもしれませんが、きっと大丈夫です。みなさんが向き合っている人たちは、その能力を得る機会を別のところに当ててしまっていただけで、これから努力すれば挽回できるはずです。むしろ、学ぶ能力自体は高いので、しっかり教えてあげれば平均以上のスキルを発揮してくれるはずです。

もし、どんなに教えてもどんなに指導しても2つの能力が身につかないのなら、それはもう、高学歴とか全然関係ない問題です。シンプルにその人がいい人材ではないというだけです。そういう時は素直にあなたの上司に相談しましょう。

文/西岡壱誠

高学歴のトリセツ 褒め方・伸ばし方・正しい使い方

西岡壱誠
高学歴のトリセツ 褒め方・伸ばし方・正しい使い方
‎2024/3/21
1,375円(税込)
192ページ
ISBN: 978-4065351833
「この人、勉強はできるけど仕事はダメだな」仕事でこんな思いをしたこと、誰でも一度はあるのではないか。しかし、高学歴人材の多くは決して無能ではない。正しい知識を持ってうまく使えば、彼らはまさに一騎当千の働きをしてくれる。本書では、東大ベンチャー企業の社長として多くの東大生と日々仕事を共にしている著者が、自らの経験をもとに高学歴人材の正しい使い方を解説する。

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