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「客への神対応」に熱心な企業はむしろ潰れやすい…山口周が考える「今後急成長する会社」のたった一つの特徴

プレジデントオンライン / 2024年5月10日 7時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BrianAJackson

売れる商品はどのようにして作られているのか。コンサルタントの山口周さんは「カスタマー・ハラスメントは世界中で問題になっているが、このような『甘やかされた子供』の要求に応え続ける企業は、誠実なように見えてじつは顧客のことを何も考えられていない」という――。

※本稿は、山口周『クリティカル・ビジネス・パラダイム 社会運動とビジネスの交わるところ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■顧客の欲求に応えるマーケティングには限界がある

アファーマティブ・ビジネス・パラダイムにおいて顧客は全面的な肯定の対象となりますが、クリティカル・ビジネス・パラダイムにおいては批判・啓蒙の対象になります。

アファーマティブ・ビジネス・パラダイムにおいては、顧客の欲求は全面的な肯定の対象となります。企業間の競争は、顧客の欲求をいかに精密に把握し、それを効果的に充足させられるか、という点にかかっています。マーケティングにおける市場調査の様々なテクニックは、そのような要請のもとに開発、洗練されてきた歴史的経緯があります。

しかし、ここに大きな問題があります。というのも、欲求の水準が低い市場でアファーマティブ・ビジネス・パラダイムを全開で推進すると、欲求の水準はますます低下し、結果的に、ビジネスが生み出す社会問題をさらに拡大、再生産してしまうのです。

■なぜ自動車は「大きく、重く、うるさく」なっているのか

これはすでに拙著『ビジネスの未来』(プレジデント社)においても指摘したことですが、基本的なニーズが満たされた社会において、消費は社会的な地位を他者に見せびらかすための記号という意味を大きく持ちます。そのような社会において「他者に優越したい」という人々の欲求を肯定的に企業が受け入れ、これを満足させるために全力で取り組めば何が起きるか、は容易に想像できるでしょう。

たとえば、自動車の市場であれば「安全で快適で便利に移動する」という基本的なニーズから乖離して、路上において、派手に、他人より経済的・社会的に優位な立場にあることを他者に示したいという欲望によって、とにかく「大きく、重く、うるさく、派手に」ということが求められることになるでしょう。

そして実際に、ここ30年ほど、自動車は肥大化の一途を辿っています。本来、エンジニアリングというのは、進化することで「軽く、小さく、静か」になるはずなのですが、ここ数十年間、自動車は全般に真逆の方向、つまり「重く、大きく、うるさく」なっているのです。

■「そうしないと売れないから」というホンネ

もちろん、安全対策に関する規制強化への対応という側面があることは認めます。しかし、もし安全を第一に考えるのであれば「出力を低下させる」「速度を落とす」といったアプローチが真っ先に考えられるわけですが、こちらのアプローチは全くといっていいほど採用されておらず、トレンドはむしろ真逆で最高出力も最高時速も高まるばかりで止まる気配がありません。

タテマエの理由はいくらでも出てくると思いますが、ホンネの理由は単純で「そうしないと売れないから」「それを求める顧客がいるから」ということでしょう。

しかし、このような欲求に際限なく対応していくことは、気候変動や資源、あるいは自転車等のサステナブル・モビリティとの都市における共生といったことがすでに大きな問題になっている世界において、もはや受け入れられないのではないでしょうか。

■センスの悪い顧客を相手にするとセンスの悪い商品ができる

環境倫理以外に関する問題もあります。たとえば美的センスというのは誰にでも備わっているものではなく、一定の経験と教育と環境を与えなければ育まれないという側面があります。したがって、高い水準の美的センスを持っている人は必ずしも社会における多数派ではありません。

このような社会において、市場の多数派の欲求を精密にスキャンしてそれを商品化するというアファーマティブ・ビジネス・パラダイムを実践すれば何が起きるか? 当たり前の結論として、凡庸な美的感覚しか持たない人たちの美的センスを反映したもので世の中が溢れかえることになります。

この問題について、デザイナーの原研哉は次のように指摘しています。

センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品が作られ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品が作られ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。

しかしこの逆は起こらない。(中略)ここに大局を見るてがかりがあると僕は思う。つまり問題は、いかに精密にマーケティングを行うかということではない。その企業が対象としている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。(原研哉『デザインのデザイン』)

■企業は顧客の美的・倫理的感性を引き上げる必要がある

原研哉はここで「市場の欲望の水準をいかに高水準に保つか」という論点を立てています。市場の欲求の水準を肯定的に受け入れて、それにおもねるのではなく、欲求の水準に対して批判的な立場をとりながら、むしろその水準を高めるような批判・啓蒙によって「市場の欲求の水準を教育する」ことが必要だと言っているのです。

結論としてまとめれば、アファーマティブ・ビジネス・パラダイムによって、顧客のルーズなニーズやウォンツに対して適応することを続ければ、やがて社会全体の風景がルーズな方向に引きずられ、それはまた、その市場のグローバルな競争力の喪失にもつながるということです。だからこそ、現在の私たちは、顧客の美的・倫理的感性を引き上げるようなクリティカル・ビジネス・パラダイムを必要としているのです。

私たちの社会は、人々の心身を耗弱させ、地球環境に甚大な負荷をかけながら、日々、膨大な量の物品を世の中に送り出しているわけですが、これらの品々の中に、私たちが本当に「次の世代の人々に是非とも譲り渡していきたい、私たちはこういうものを作ったのだと誇りを持って伝えたい」と思えるようなものを生み出せているのかどうか、クリティカルに考える必要があります。

渋谷センター街の看板と商店街を歩く人々
写真=iStock.com/visualspace
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/visualspace

■ダメな顧客のリスクは100年近く前から指摘されてきた

そのような反省もなく、日々、美意識も倫理観もない大衆の欲求にルーズに適応することで生み出されたこれらの商品が、人々の生活の舞台である社会の風景を織り成し、子供たちがそれらの商品に日常的に触れることで、感性はさらにルーズな方向へと教育され、美的センスの社会的なスタンダードは長期的にズタズタにされることになるでしょう。

スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセットは、1930年の著書『大衆の反逆』で、新しい「大衆」という社会集団の出現とその特質についての洞察を提供しています。オルテガによれば、この「大衆」は自分の意見や欲求を絶対視し、伝統や貴族的価値観を軽視する傾向があります。

この「大衆」の出現とその行動の背後には、社会の民主化や平等の進展、そしてテクノロジーの発展に伴う生活水準の向上が影響している、とオルテガは指摘します。

今日、あらゆるところを歩きまわり、どこでもその野蛮な精神性を押し付けているこの人物を、人類の歴史に現れた「甘やかされた子供」と呼ぼう。「甘やかされた子供」はただ遺産を相続するしか能がない。

ここで、彼らが相続するものは文明である。いろいろな便宜や安全……一言で言えば「文明の恩恵」である。いままで見てきたように、文明がこの世界で作り上げた安逸な生活の中でのみ、あのような諸特徴を持ち、あのような性格をもった人間が生まれるのである。(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)

■かしずくような企業の姿勢がクレーマーを生み出してきた

オルテガは、このような大衆の振る舞いをたとえて「甘やかされた子供」と名付けています。なぜ、大衆は「甘やかされる」のか? オルテガは「甘やかされた子供」が生まれる理由として「文明がこの世界で作り上げた安逸な生活」を挙げています。

市場経済において勝者となることを目指す企業が、顧客の要求や欲求を絶対視し、これに対してアファーマティブに対応することを続けているうちに、顧客はまるで王侯貴族のように「自分たちの要求や欲求は常に満たされて当然だ」と考えるようになります。オルテガが指摘する「大衆」の自己中心的な性質は、このようにして形成されていくことになります。

昨今では、横暴な顧客による理不尽な要求やクレームによって従業員が精神的・肉体的に傷つけられる、いわゆるカスタマー・ハラスメントが世界的に問題になっていますが、こういった「甘やかされた子供」のような傍若無人な顧客は、是非の判断もなく、長いあいだにわたって顧客の要求にかしずくようにして応え続けてきたアファーマティブ・ビジネスによって生み出されている、と考えられます。

喫茶店で顧客のクレームに対応する若い女性
写真=iStock.com/jeffbergen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jeffbergen

■無教養な要求に応え続ける限り、温暖化は解決しない

ここでポイントになるのが、オルテガの言う「大衆」はまるで王侯貴族のように振る舞うわけですが、彼らは「振る舞い」が王侯貴族に似ているだけで、その背後には何もない……つまり王侯貴族が持っている教養も審美眼も倫理観も持っていない、という点です。

ノブレス・オブリージュという言葉があります。フランス語で「高貴な地位にあるものの義務」を意味する成句です。高貴な立場にあるものは、その立場によって得られる恩恵や権利と引き換えに、社会的な義務や責任も負わなければならない。そのような矜持がこの言葉には込められているわけですが、「甘やかされた子供」である大衆にはこれがないのです。

そのような無教養で美意識のない大衆からの要求・欲求に無限に応えることによってしか、市場で勝ち残ることができないのであるとすれば、世界の辿り着く先はディストピアでしかありません。

地球環境や気候変動の観点から見れば、大衆の即座の欲望の追求は持続不可能であり、さらには地球の生態系や我々の未来に対する深刻な脅威となっています。オルテガが指摘したように、大衆の無教養な要求に応えることが、結果的に私たちの持続可能な未来を犠牲にしているのです。

■「顧客志向」とは、顧客の欲望を満たすものではない

顧客志向という言葉があります。一般に、この言葉は、顧客の要求や欲求に実直かつ誠実に対応することを意味しますが、しかし本当に、顧客の要求をそのままアファーマティブに受け入れ、対応することが顧客志向と言えるのでしょうか。

確かに、顧客の要求が水準の高いもの、的確なものであるのであれば、その顧客の要求に応えることは顧客志向の実践と言えるかもしれません。しかし、もしその顧客の要求が水準の低いもの、あるいは的外れなものであるとすれば、その顧客の要求をアファーマティブに受け入れて対応することで、顧客の人生のクオリティやパフォーマンスはむしろ低下してしまうでしょう。

そのようなケースでは、むしろ顧客の要求をクリティカルに否定し、顧客の要求の水準をアップデートするような教育や啓蒙を行うことが本当の意味での顧客志向ということになります。

■「甘やかされた子供」の要求に応え続けてはいけない

志向という言葉はもともと「対象に向かって心を働かせること」を意味します。ですから、もし「顧客志向」という言葉の本来の意味に立ち返るのであれば、その欲求や要求に対応することで、長期的には顧客の状態がより悪化するリスクのあるような要求に、誠かつ実直に対応することは、むしろ顧客志向の放棄を意味します。

山口周『クリティカル・ビジネス・パラダイム 社会運動とビジネスの交わるところ』(プレジデント社)
山口周『クリティカル・ビジネス・パラダイム 社会運動とビジネスの交わるところ』(プレジデント社)

見識も常識も持たない「甘やかされた子供」の欲求や要求になにくれとなく応え続ければ、それは当人にとって、さらには社会にとって悲劇と言っていい結果を招くことになるでしょう。

このような点からも、顧客の欲求・要求を肯定的に受け入れて、これを満たしていこうと考えるアファーマティブ・ビジネス・パラダイムの考え方は持続可能ではありません。

このような時代にあって、顧客はその要望、欲求を伺って充足させるべき相手ではなく、むしろ消費を含めたライフスタイル全般に関わる思考・行動様式を改めるために批判・啓蒙の対象になるというのがクリティカル・ビジネス・パラダイムの考え方と言えます。

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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『ニュータイプの時代』など多数。

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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周)

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